哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

2018-01-01から1年間の記事一覧

「泊原発が動いていれば」論のミスリードを考える

今回の北海道地震において、ネット上等で騒がれた論理がある。 「泊原発が稼働していれば停電はなかった」というものである。 この論理には、技術的な反論意見等を含め様々に論じられてきたようだが、 私は、当初からこの論理に、技術論さえ不要であることを…

尾畠春夫さんについて―改めて感じる尾畠さんの素晴らしさ―

昨夜、尾畠春夫さんのドキュメンタリー「情熱大陸」がやっていた。 そこで改めて、尾畠春夫さんのすごいところを書いておきたい。 まず、多くの方が初めて尾畠さんを知ったのは、2歳児の行方不明のニュースだろうか。 警察や消防等が捜索しても、長い時間見…

臓器提供と死刑囚 ―学として本気で考える死刑囚の臓器提供問題―

この問題を考えた諸君は、 おそらく、感情的に思い至ったか、 学問的に気になったか、ふと感じたかであろうか。 さてこれは、気持ちとしては分からないでもないが、 実は、色々な問題点を抱えていて、メリットとデメリットを比較すると、 デメリットが大きい…

勉強論1―苦手なものの扱い方―

勉強において、難しいもの・苦手なものを最初にやるか、 後にやるかというのは、勉強における一大テーマである。 例えば、私が目指す公認会計士試験の短答科目は5科目(計理別)。 通常、英語の勉強のような、一度理解すれば定着するが、 理解までは相当時間…

日本学生支援機構の奨学金制度について考える

一つだけ出して申し訳ないが、 日本学生支援機構の奨学金制度は、銀行・ローン化だと思っている。 当然、他の銀行や消費者金融等と比べ、利息が低いことは十分承知している。しかし、その額は奨学金として、決して低く褒められるものではない。 必要十分以上…

抑止力とは何か

よく、国際政治の中で、抑止力という言葉が使われることがある。 デジタル大辞泉によれば「活動をやめさせる力。思いとどまらせる力」とある。 軍事にしても、経済にしても、貿易にしても、 つまるところ、現在の国際政治における抑止力とは、 脅し一辺倒で…

掃き溜めに鶴ということ―素晴らしい人の親切と私―

「掃き溜めに鶴」という言葉がある。ネットの辞典によると、「つまらないものの中に飛びぬけてすぐれた者や美しい者が混じっていることのたとえ」らしい。http://kotowaza-allguide.com/ha/hakidamenitsuru.html有象無象の中に、たまには良い人、優しい人、…

経理の役割について

私は、かつて「経理の仕事をしたい」という方に、志望動機として、企業から「なぜ、経理なのですか」という質問を受けたりしたときに、教えた一つの回答がある。そこから、経理の概要について考えたい。 経理とは、実は、会社の大きな根幹を担っている。 例…

素晴らしい! 徳島県の阿波踊り「総踊り」

阿波踊りで、一騒動があったそうである。これまで、クライマックスとして、一番の盛り上がりを見せてきた「総踊り」を中止した市長側。そして、阿波踊りの華であるとして、どうしても行いたい踊り手側+観客側。市長は、阿波踊りの経営として、一番盛り上が…

「自分に厳しく」は不可能で危険 ―「自分に甘く、他人にも甘く」の推奨

完璧な人間などいない。皆、誰でもだらしがない。 私は「自分に甘く、他人にも甘く」がいいと思う。 よく「自分に厳しく、他人に甘く」が、人間の理想形であるという見解がある。しかし、それは、実際問題として不可能である。 他人に甘くしたり、厳しくした…

第2回 ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳『エンデ全集3 モモ―時間どろぼうと盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』より

私がこれまで読んだ本の中の、印象に残った言葉、第2回目。 第2回は、ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳『エンデ全集3 モモ―時間どろぼうと盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』(岩波書店、1996年)を取り上げたい。 こ…

「同じ境遇でもそういう道を選ばなかった人がいる論」について

よく、つらい生活環境等にあった者が、何か事件を起こしたり、人を傷つけるような悲しい結末をむかえたりすると、決まって使われる言葉がある。 「同じ境遇でも、そういう道を選ばなかった人がいる。だから・・・」というものである。 これは、一見正しそう…

信じられる自白とは何かについて ―旧・今市市の事件についての一考察―

2005年に栃木県今市市(現:日光市)で、小学1年生の女児が殺害された事件。 勝又拓哉被告人は、本日、東京高裁(藤井敏明裁判長)で、無期懲役と判決された。 自白偏重で、冤罪事件であるとも報道されている同事件。 私は、この事件が冤罪かどうか分からな…

学校でのエアコン設置について

猛暑で40℃を超える程の暑さが日本各地で続く。 しかし、さすがに、他に流すニュースはないのかというほど、うるさく連日続くニュースである。 熱中症も多く、学校の校外学習を含んだ活動で熱中症となり、亡くなった児童がいたことがニュースにもなった。 …

「借方と貸方が、右か左か」を覚える

本日は、簿記・会計で、借方と貸方が、右に書くものか、左に書くものかについて、その覚え方を考えてみたい。 これは、理論として覚えるのが難しいこともあるからか 「こういうものだと思って下さい」という体で、決まり事として説明されることがほとんどだ…

なぜ政治家にならないのかと聞かれたら―民主主義から考えた理由―

素晴らしい業績等をあげていると、よく「政治家にでもなるのかな」とからかわれる場面がある。しかし、どういう業績にせよ、政治家になるということは、必ずしも、そんなに嬉しいことでもない。 ※私は、素晴らしい業績をあげたことのない、一般人だが。 民主…

「エフォートパフォーマンス」という言葉を広めませんか?

エフォートパフォーマンス、それは、努力(effort)と、効果(performance)を掛け合わせた言葉で、私なりに意味付けをすれば、 ある努力に対して、どのくらいの効果が見込めるか、ということです。 努力と効果の比とも言えます。 コストパフォーマンスとい…

保証人というしくみ ―時代遅れの慣習に言うべきこと―

保証人というしくみが世の中にはある。法的に言えば、人的保証と言われるものである。 2020年施行の新「民法」制定にあたっても、その改廃が様々議論されたようであるが、結局、残ったしくみである。内容が厳しくなったと言われるものの、極度額を設ける等の…

結愛ちゃん虐待事件で考える

2018年のこと。虐待による、5歳児の死亡事件の件である。改めて書くまでもないが、この事件、非常に胸が打たれるし、涙が出てくる。元々、この子を知っていたわけでも何でもないのだが、なぜか、すごく悲しい。まず、可愛い。だからと言って、悲しみを増すわ…

第1回 サン=テグジュペリ著、内藤濯訳『星の王子さま』より

私がこれまで読んだ本の中で、印象に残った言葉を綴っていきたい。 第1回は、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、内藤濯訳『星の王子さま』(岩波書店、岩波少年文庫・1976年改訂版)を取り上げたい。 あんたの目から見ると、おれは、十万ものキ…

簡単な金利の問題からみる社会の複雑性

いきなり問題です。 あなたは、金融機関から金利(年率)12%で100万円借りました。その時、契約書には「返済は月々1万円でOK」と書かれていました。毎月の返済額が減るのは良いことだと思ったあなたは、早速その条件で契約しました。 さて、あなたが借金…

学歴 ―学校歴の実質的価値とその信奉者―

学歴とは主に、最終学歴である学歴(中卒、高卒、短大卒、大卒、大学院卒等々)と、その学校のランクなるものである学校歴(○×大学卒、▽△大学卒等々)があります。 これらは、どちらも、その高低だけでその人物を判断できるものではありません。良い評価の基…

心理学 ―流行っているが100%ではない―

様々な学問分野がありますが、その中でも心理学は、他の学問と比べ、まだ歴史が浅く発見されていることが非常に少ない学問分野ではなかろうかと思います。 そもそも、心理学とは、ジョニー・E・ジョンストン著、最上悠監訳、登内温子訳の『世界一わかりやす…

地震に関する提言(かつての熊本地震の際に感じたこと)

私の提言以下は、かつて熊本地震の際にふと感じたことであり、加筆・修正し改めて書いておきたい。 1、抜本的解決を大地震というものは、突然やってくる。その恐怖は計り知れない。被災者の中には、余震の心配があり、心配で眠れない方々が多い。大きな精神…

純粋に、人生で一番辛かったことは何か―ちょっと偏屈編―

この文章を読む前に注意点があります。 それは、以下の文章は、一番最後まで読まないと、きちんとした意味が理解できないということです。途中だけ読むと勘違いが生じます。それをご理解の上、読んで下さい。全部読みたくない人は、飛ばして下さい。 人生で…

勉強について―学問への愛的勉強と体育会系的勉強の違い―

勉強に関する、様々な本、様々な塾・予備校・学校があります。 しかし、それらに一番大切なのは、読者や生徒・学生のモチベーションをいかに上げさせるか、いかにやる気にさせるか、ということだと思います。 書いてあることは、その通りの内容であるものの…

友人の「進路」との比較―何が一番幸せか、みんな違ってみんないい―

私の友人は、皆、個性的です。小学・中学・高校と、私のクラスは、なぜか先生から「個性的」と言われてきました。小・中・高の方々とは、現在、交流はありません(所在不明です)が・・・。 交流があるのは、大学時代の友人達です。まあ、皆と深い人間関係を…