私がこれまで読んだ本の中で、印象に残った言葉を綴っていきたい。
第1回は、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、内藤濯訳『星の王子さま』(岩波書店、岩波少年文庫・1976年改訂版)を取り上げたい。
あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおなじなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならす(※「飼いならす」とは「仲よくなること」と書いてある)と、おれたちは、もう、おたがいにはなれちゃいられなくなるよ。あんたはおれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ
→この本を私は、児童文学作品という見方ではあるが、いろいろと考えさせられる文章である。
いつも同じ時刻にやってくるほうがいいんだ。あんたが午後4時にやってくるとすると、おれ、もう3時にはうれしくなりだすというものだ。そして、時刻がたつにつれて、おれはうれしくなるだろう≪中略≫だけど、もし、あんたが、いつでもかまわずやってくるんだと、いつ、あんたを待つ気もちになっていいのか、てんでわかりっこないからなあ・・・・・、きまりがいるんだよ
→もしも、逆の思いであったのなら、嫌になりだすのであろうか。どちらにも言える言葉のようである。しかし、過去にこれを読んだ際は、なんかしっくりきたものである。どちらかと言えば、私は遅刻が多い。それもあってか、中々いい文章だと思った。
人間はみんな、ちがった目で星をみてるんだ。旅行する人の目からみると、星は案内者なんだ。ちっぽけな光くらいにしか思ってない人もいる。学者のうちには、星を難しい問題にしてる人もいる。ぼくのあった実業屋なんかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての星は、みんな、なんにもいわずにだまっている
→確かに、言葉を発しているようにはみえないが、星も、例えば太陽の活動のように、爆発等といろいろな活動をしている。それぞれの方法でのコミュニケーションなのだろうか。言葉を、コミュニケーションに限定することについて問題があることはおいておき、何もせずに静かにしているということではない、ということは確実なようである。面白い文章だ。