哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

「泊原発が動いていれば」論のミスリードを考える

今回の北海道地震において、ネット上等で騒がれた論理がある。

泊原発が稼働していれば停電はなかった」というものである。
この論理には、技術的な反論意見等を含め様々に論じられてきたようだが、
私は、当初からこの論理に、技術論さえ不要であることを、主張してきた。

そもそも、私は「していれば」という、たられば論自体がナンセンスであるとする。


苫東厚真火力発電所の地域では、震度7を記録した。
泊原子力発電所の地域では、震度2だろうか。
しかし、これをもって「再稼働していれば」や「すぐ再稼働すべきだ」は、通用しない。

こうした「たられば論」が罷り通るならば
「苫東厚真が原発だったら」「泊に原発でなく火力があったら」等とも言うことができ、
もし「泊にあるのが、原発ではなく、火力発電所だったら、回復は早かった」とも
考えられるわけである。

ある意見で、現実的な仮定と、非現実的仮定という論を展開したものもあったが、
どちらも相対的に過ぎず、仮定の域を出ない。

さらに、菅官房長官が発言したように「安全審査中に、動かせない」のである。
「審査が通っていない段階で動かす」ことは、法的にも、現実的ではない。

そもそも厚真町に火力発電所でなく、もし原発があったとしたら、
例え壊れないとしても緊急停止するため、停電は起こる。

つまり、原発はこの際、全く関係なく、逆に泊が火力発電所だったら、
こんなに長引くかもある論理である。

苫東厚真火力発電所では、震度7原発も当然停止(これで済むか別)。
泊では、震度2。これなら火発も動く。
よって「原発でなく火発だったら」も成り立ち、しいては原発不要論にもなる。

よって、今回のような仮定の話は論拠にならず、すべきではないのである。