哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

純粋に、人生で一番辛かったことは何か―ちょっと偏屈編―

この文章を読む前に注意点があります。
それは、以下の文章は、一番最後まで読まないと、きちんとした意味が理解できないということです。途中だけ読むと勘違いが生じます。それをご理解の上、読んで下さい。全部読みたくない人は、飛ばして下さい。


 人生で一番辛かったこととして、多くの人は、恋人と別れたこと、身内の死去、試験の失敗、大きな怪我・病気、解雇、破産、犯罪被害、天災被害、卒業、大切な友人・知人との別れ等を挙げると思います。

 
取違孝昭『詐欺の心理学』(1996年・講談社ブルーバックス)の、pp.99~100によれば、悩みとして、こどもの問題(いじめ、夜遊び、暴力等)、夫婦の問題(不倫、暴力、不和、賭博、性格不一致等)、病気の問題(持病、不治の病、慢性の病、疲労等)、愛情の問題(愛が結ばれない、裏切り等)、仕事の問題(人間関係、成果が出ない、過酷、失敗等)、将来の問題(孤独、お金、希望、悪いことが続く等)、その他(変な夢、心霊体験等)が挙げられており、こういう悩みに無縁の人は、皆無であろうとしています。おそらく、このようなものが辛さと結びついてくるのでしょう。

 しかし、私の考えでは、そういったものは、小さいことであるか、又は楽観的に捉えることが出来るか、人生の中で必ず越えなければいけないもの等ということで、辛くはあるものの、「自分の人生にとってどうなのか。今後どうしていくのか」という問いを自分自身に投げ掛けられているに過ぎないものであり、一つの大きな経験ということに置き換えられるものです。念のために言っておきますが、実際は、そんな簡単ではないことは、重々承知しております。その意味は、最後に書いてあります。

 しかし、私の人生の中で一番辛かったことは、それとは、辛さの意味が全然違うものです。私も、上に挙げたことは辛いです。しかし、その見方を変えると、別のことが出てきます。

 それは、結論から言うと、内定をした企業等を辞退することです。尚、どこでもというわけではなく、但書きは、最後にあります。人生、様々なところから選択し、エイヤっと決断しなければならない場面に遭遇します。それは、非常に辛く、非常に悲しいものです。なぜなら、行きたくない企業・庁などは、当初より受けていないからです。

 受けたということは、そこへ行きたい、ということなのです。そして何より、数回の面接で一部しか知らない中で、又他者が多くいる中で、プラスかマイナスか未知数の一個人のポテンシャルに期待をしてくれたからです。私への投資です。よって、私にとっては、人生の中で何よりも悲しい出来事なのです。

 選考で落ちた企業は、後になれば忘れているかもしれません。しかし、内定を頂き、こちらから辞退した企業、これは一生忘れません。自分が著名で、かつ実力のある人物になった際には、ボランティアでも社会貢献でも、その企業が承諾してくれるなら、その企業でやりたい、とさえ思ってしまいます。そのくらい、辛く悲しいです。

 誰が3枚程の書類と数回会っただけで、特に著名でも実力もない人に、そのポテンシャルを見て莫大なお金を出してくれるだろうか。それを断るのだから、非常に心が痛いわけです。毎回、寿命が縮まる思いがします。

 これは、一つの大きな経験では語ることが出来ません。なぜなら、企業の利益を未知数の相手に掛けることだからです。人を採用するためには、そうしなければいけないのですが、それが、他者ではないこの私自身ということです。選ばれた存在として、認められた存在として確立するのです。

内定の辞退に似ていることがあります。それは、好きだと告白をされることです。これは非常に嬉しいことです。好きだと告白する人は、その人が好きなのです。他の人よりも好きなのです。これは、内定の辞退と似ています。

内定の辞退と告白を断る、ということが決定的に異なるのは、好きだという告白を断るのが「アプローチをされて断る」のに対して、内定の辞退は「こちらからアプローチし、あちらから、それに対する承諾があったにもかかわらず、断る」ということです。つまり、恋愛で言えば「こちらから、好きだと告白して、相手もいいですよ。私も好きです。と言ってくれたにもかかわらず、ごめんなさい、やはり、なかったことにして下さい」と言っているようなものなのです。

 よって、非常に辛く悲しいことをしているのです。向こうに落とされるのは、一方的な愛です。しかし、こちらがするのは、双方の愛ですか。

 しかし、内定辞退は、多かれ少なかれすべき事態が訪れるものと思います。それは、どうしようもないくらい、辛く悲しいです。恋愛と、仕事は別物という意見もごもっともですが。

 まあ、言うほどに内定を取っていませんが・・・。
 それだけ受けたということでしょうか。大学時代から数えて、エントリーシートだけの提出含め、200社・庁超は受けていると思います。まあ、そのほとんどは落ちているか、途中棄権しているのですが・・・。

 いずれにしろ、相手の人が良い人だったりすると、とても悲しいです。皆さんは、どうでしょうか。因みに、内定を辞退されても当然、といういい加減な場所も多いとも思います。例えば、ブラック企業とか。そういうのは、論外で、真面目なところとは、雲泥の差があります。

最後の意味とは、
 これは、悲しいとか苦しい、とは一線を画した、純粋に辛いという一心に近いということだと思います。はじめに挙げたことは、皆、悲しく、苦しく、おびえてしまうことでしょう。しかし、私の辛いことは、ただただ辛いわけです。そんなに悲しくはないです(そんな深い人間関係ではない)。全然苦しくもない(話せば十分)。おびえるなんて、とんでもない(みんなやっているもの)。でも、辛いわけです。こういう経験って、本当に少ない気がします。いい経験でもあり、辛くもあります。