哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

第2回 ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳『エンデ全集3 モモ―時間どろぼうと盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』より

私がこれまで読んだ本の中の、印象に残った言葉、第2回目。


第2回は、ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳『エンデ全集3 モモ―時間どろぼうと盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』(岩波書店、1996年)を取り上げたい。


この秘密とは―それは時間です。時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか1時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです


時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るために目があり、音を聞くために耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある

→この本は、高校生の時に読んで、すごく感銘を受けた。「なるほどな」と思った。実に大切なことが書いてある本だと、今でも思っている。そして、これをきっかけに、作家・ミヒャエル・エンデの著作を読み漁り、すっかり好きになってしまった。

彼が投げかける意味は、現代においてとても興味深い。