哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

話す・書くこと等と、頭の中

よく、様々な文章を発表したり、学問的な話をするときに言っていることがある。
 
「全てを出す必要はない」ということである。つまり、頭の中には、沢山の情報等を入れておき、書いたり話したりするときにはその一部を出す方がよい、と。
 
例えば、人にある文章を出す場面があるとする。その人はそれを見て質問するかもしれない。そういうときに、調べたことや知識、考えたこと等全てそこに書いてしまうと、質問への回答がしっかりしたものにならない可能性がある。むしろ、いきなりものすごく長い文章を出されても、読む気にはなりにくい。文章をまとめて、質問されたときに、沢山の情報を詰め込んでやって回答してやると、ものすごい頭のきれる人のようになるし、その方が向こうの理解もされる。納得を生むわけである。
 
自らが調べたことや知識、考えたことは、実は相手もその中に知っているものがあるかもしれない。なので、自ら知っているものを再度みても納得はしない。なので、こちらから話すことは極力少なくし、相手が聞いてくる、つまり、教えてほしいときたときに、頭の中の情報を出していくわけである。こうすることで、相手は理解しやすい。
 
この論理的なテクニックは、相手と意見を戦わせるときにも使われるものである。こちらの情報を小出しにして、相手の質問等をかわすのである。出すのは一部で、その下に膨大な知がある、というのが様々な場面で重要だろう。使い分けることも検討する必要がある。