哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

原発事故による汚染の偏り―原発事故の本当の危険性―

福島原発事故が起きて、もうすぐ3カ月です。
様々な事故処理上の困難はずっと続いているわけですが「汚染」の状況というのが、疎かにされているのではないか、と考えます。「放射能汚染地域は、なぜ偏りがあるのか」という文章で書きましたが、海でも、地上でも、汚染は、同心円ではないわけです。
 
つまり、様々な気象的・潮流的現象によって、汚染の偏りができてしまうことが考えられるのです。どういうことか。それは、ある一定の場所に汚染が酷く、その場所と、他ではその汚染の度合いを異にするような、汚染の偏りです。地上だけでなく、海でも起こりえることです。大気や海にまんべんなく薄まってくれればいいのですが、そうはいきそうにないでしょう。偏りが生じてしまうことが容易に想像できるわけです。科学的に、それは、線量で見る場合、又、物質で見る場合(セシウムストロンチウムプルトニウム等々)があります。物質は、下に落ちますので、地面付近が線量が高いです。又、空気中の物質は、雨等で落とされるので、その雨水などの通路の集まり部分も重要でしょう。又、流れていかず、そこで堆積してしまう可能性も見る必要があります。川などの場合、ある地点に流れてきて堆積してしまっている等も考慮することができるでしょう。
 
このように、様々な自然的な事象によって、汚染の偏りが生ずるということは重要で、これらが悪さをするときに、実は本当の原発事故の危険性があるわけです。私は、福島原発の近くだから、という危険性というよりも、まだはっきりとは分かっていない、汚染の偏りによる危険が本当は怖いわけです。原発事故の近くでも、この人は大丈夫、この人も大丈夫、でも、この人は、ということもあるわけです。それは、外部被曝よりも内部被曝が心配であり、これから長期的な戦いになると思われます。
 
政府等は、この部分の汚染の偏りを、様々な条件を入れ、調べ、早急に対策を練るべきでしょう。