哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

哲学するということと、答え

哲学というと、根本的な問題に対して、深く思考を巡らすということになる。

私は、中学生くらいに、哲学にハマった。
中学生から、大学の哲学科に行って勉強したいと思っていた(実際は法学部)。
そんな中学生、中々いないだろう。

年齢を重ねるにつれ、そういう哲学好きが周りにあらわれてきた。
しかし、私とそういう人とは、話があまり合わない。

私と、他の哲学者(哲学する者)との決定的な違いがあった。
それは、私が考えに考えて結論・答えを出すのに対し、彼ら哲学者は、答えを出そうとはしない。
ただ、考えるのみだった。

私は「人はなぜ生きるのか」に対しても「人はなぜ、人を殺してはいけないのか」に対しても「人はなぜ、自殺してはいけないのか」に対しても、答えを出してきた(詳しく知りたい方は、この哲学カテゴリーの過去分を参照されたし)。

その答えは、ほぼ今まで変わっていない。根本は同じだ。

かといって、それと異なる答えがあったとしても、私は受け入れる。それが哲学だ。哲学とは、自由発想である。宗教と対比されるが、教義はない。どう考えようが自由で、何かに縛られることもない。絶対的なものも何もないのである。

私は、答えを求める。正しさを追求する。あるべき道を追求する。あるべき考えを追求する。あるべき行動を追求する。尚、これらあるべきものは、一つに限らない。複数ある場合も当然あろう。しかし、答えなくして哲学なし。それが私の哲学の役割だと考えるからである。

テレビはなぜ衰退したと言われるのか―YouTube等との戦いの中で―

問題提起

皆さんは、こうした話を聞かないだろうか。

「テレビの時代は終わった」
「これからはYouTubeの時代だ」
「若い人は、誰もテレビなんて見ない」
「テレビはつまらなくなって、YouTube等の方が面白い」
「将来は、ユーチューバーになりたい」等々

今や、テレビを席巻しようとしているYouTube等のネット動画。
これは、多くの方にとって、周知のことであろう。

しかし、思うに、なぜ、テレビからネット動画(YouTube等)への移行がここまで早く進できたのか。

ともすると「YouTubeの方がテレビより面白いから」等というかも知れない。しかし、私は、全然そう思っていない。

なぜなら、テレビもYouTubeも、人が作っているものであるし、大抵、テレビの方がYouTubeよりも制作にお金がかかっている。さらには、テレビの方が多くの人の手やアイデアが入る。コンプライアンスで規制がある等と騒いでも、そんなのは極わずかでしかない。つまり、テレビで流していないものをYouTubeが流しているかと言えば、そういうものは極わずかでしかないのである。

では、テレビ離れは、何が原因なのか。

 

テレビ離れの理由ー携帯で見れる動画・ゲームと、見れないテレビー

第一に、私は、携帯のワンセグ(テレビ)にあると思う。
多くの人は、1日の大半を外で過ごす。その中で、皆が持っている物と言えば、携帯電話だ。
しかし、困ったことにその携帯で、ワンセグ(テレビ)が中々見られないのである。
まず、ワンセグのある携帯が少ない。そして、電波が悪すぎるということである。

そもそも、テレビは、アナログからデジタルになったのを皮切りに、うつるか、うつらないかの2択になり、それまで、ザラザラだけど何とかなるかなというような、真ん中の選択肢がなくなってしまった。私は、これがデジタルの最大の欠陥の一つであると思っているが、電波が少しでも悪くなると、映像は止まり、そこから、ムズムズするくらい腹立たしい時間が過ぎ去っていくのである。だから、ほとんどの人は、携帯でテレビを見るという選択肢がなくなった。これが、テレビの衰退の主たる原因であると思う。

そうした中、例えば、YouTubeであれば、動くのである。電波の良い所でカーソル?が先に進み、いわば充電のような感じで、先へ行く。そして、例え電波がなくなっても、そのカーソルの所までは、動くのである。なので、YouTubeであれば、ワンセグのような、電波によるムカムカ感が遥かに少ないのである。

そして、同じく携帯ゲーム・アプリにも同じことが言える。これも、ワンセグよりも圧倒的に電波が入る。それに、基本はただである(課金はあっても任意が多い)。だから、ああいう私からすれば、単なる時間つぶしでしかないようなものに、のめり込むのだろう。スキマ時間が多い中で、読書や新聞という目も疲れるし、重いし、勉強嫌いだよ、という人に、スッポリ大いにハマったのである。

よって、私が、もしテレビが復権するならと考えるならば、ワンセグをしっかり簡単に電波よく見られるようにすること。そうすれば、テレビもとても簡単に復権すると思う。YouTubeや携帯アプリゲームにこれだけ早く流れたのだから、再度、よりを戻すことも、簡単に出来るはずだ。しかし、そのためには、携帯電話会社がやろうとしない、テレビの電波を至るところで繋がるようにするような、仕組みが必要だ。それには、お金がかかる。ここで、どうだろう、NHKさん、潤沢に内部留保しているお金で、再度、テレビを復権させてみては???

 

テレビ離れの理由ー自主規制のない動画と、自主規制のあるテレビー

「昭和のテレビ」という言葉がある。過去には、法的な規制や自主規制がないものだから、何でもありの状況を表したものに使われることがある。

 

その中では、バラエティーはおろか、報道も、今と異なる。進化と言えば進化だが、そこには、自主規制等でかんじがらめにあっている状況もある。かつてあった命懸けの取材・ギリギリの状況での取材というものは、今やほとんど姿を消した。安全な場所で安全にレポートする形になった。「命を張ったリポート」が声高に評価されるのは、今やパワハラというような懸念からであろうか。しかし、それを失った現在は、現場からのレポートが室内かつヘルメットとなったり、それは、現場の意味がなくなっている。むしろ、それなら現場レポートではなく、スタジオにいても変わらないのである。

 

一方、YouTubeは自主規制がほぼないため、ユーチューバー自身が自由に動くことが出来る。なので、とても素晴らしいものもあれば、中には、自分勝手に動き過ぎてしまい、過激な動画で、法令に違反し逮捕された者までいる。

 

よって、何でも自由なYouTubeとテレビ等の報道では、はっきりと違いが鮮明になってきている。YouTubeへの規制はほぼないが、テレビには、年々コンプライアンス強化という名の自主規制が進んでいると言える。見る側からすれば、どちらが面白いか、どちらが迫力があるかは、一目瞭然となるのである。

安倍元首相銃撃暗殺事件の件【後編】ー当時の警備の問題点と山上容疑者の動機の問題点―

最後に、容疑者の動機について考えてみたい。

現在、山上容疑者は
「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思い」
「母親が団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃに」

 ということで、今回、山上容疑者が犯行を行った理由は、安倍元首相が、その特定の団体と関係が深いから犯行に及んだのだという。尚、その特定の団体、特定の宗教団体とは、統一教会と言われている。又、山上容疑者の母親は統一教会で、山上容疑者自身は、サンクチュアリ教会へ入信しているとの情報がメディア報道で一部でている(警察もそうであるが、一般的なメディアで、宗教団体名を明かしていないのは、宗教の自由にかかりその宗教団体に対して愉快犯の攻撃が向くことを防ぐ目的、容疑者の一方的な見方により安倍元首相の思想観・宗教観を歪めない目的等が考えられる)。

 しかしながら、山上容疑者のこの犯行動機を、そのまま受け入れることは、少なくとも私は出来ない。なぜなら、その宗教団体に恨みがあるなら、その宗教団体であるべきであり、安倍元首相であるべき理由は全くない。かかわりがあったとしても、単なるかかわりで、安倍元首相の職業は、政治家である。単純に、安倍元首相よりも、宗教団体に関わっている関係者など、山ほどいるだろう。そもそも、山上容疑者は、岡山でも安倍元首相を襲撃しようと計画していたとの情報もある。つまり、狙っていたのは、その宗教団体ではなく、安倍元首相だったと言え、他の人は具体的に狙っていないということが明らかであろう。

では、なぜ、こうした偽証、嘘をつくのか。私は、それは、山上容疑者の死刑回避にあると考える。

 そもそも、この山上容疑者は、知的水準としては、いわゆるエリートと言える。学歴・学校歴から考えて、ある程度の高等教育は受けている。この犯行にしても、相当な綿密な計画をしているはずだ。そういう山上容疑者だからこそ、人生の終わりも計画しているはずである。死刑を望むような、無謀な犯罪者もいるが、山上容疑者の場合、そうした苦を避けているように、供述から感じる。

 ここで「一人で死刑になるはずがないだろう」という読者がほとんどだろう。だからこそ、山上容疑者もそう考えたのだと考えているが、それは甘い。2007年の長崎市長銃殺事件において、長崎地裁が第一審で「選挙を混乱させるな民主主義の根幹を揺るがした」として、死刑判決を出したのである。弁護側が民主主義に対するものではなく、個人的恨みであるから、個人と個人の問題ということで、いわゆる、永山基準(一人殺害で死刑は中々出ないような基準)を求め、控訴。結果、最終的に最高裁無期懲役となり、犯人は獄中で病死したとされる。

 つまり、個人と個人ではなく、民主主義への挑戦であれば、数は関係なく、死刑に十分になり得るのである。それは、我が国の根幹、社会の根幹をなすものが民主主義であり、そのために社会があり、政治があるということからすれば、我々が一番守っていかなければならないものなのである。だからこそ、最大限に尊重され、それを蔑ろにする者へは、極刑をもやむを得ないという判断である。

 しかるに、今回の件。山上容疑者の宗教団体云々の供述の件は、言っていること(供述)と、やっていること(犯行、行動)とが全然一致していない。そういうことからすると、犯行に至る供述は、支離滅裂だと言える。
 山上容疑者が、その宗教団体によって、自らとその家族を無茶苦茶にされ(されたと感じ)、そこに恨みや悲しみがあったことは事実だろうが、狙ったのは、憲政史上最長の首相在任であった安倍元首相であった。つまり、そうした自らの境遇に対し、社会を逆恨みし、その社会の急先鋒が安倍元首相であったのだろうということが言えよう。つまり、山上容疑者は、自らの最後に、民主主義の破壊を選んだということになる。

 こうした、個人が民主主義を破壊するような行為には、死刑をもって望んでほしいと切に願いたい。又、長崎市長銃殺事件(長崎市長射殺事件)よりも、今回は罪が重いと言える。市町村の長ではなく、国権の最高機関の議員であり、憲政史上最長の首相在任者で、今後も首相再登板の可能性のある者への犯行であるということ。そして、山上容疑者は、爆弾や銃を作っていたということ(家宅捜索にて)。そういうことからしても、罪は相当重いだろう。山上徹也へは、死刑以外に選択肢はないと考える。
以上、この事件の件である。



追伸
 私は、安倍元首相の政策は、私の考えと一致しない点が多かった。その意味では、安倍元首相は好きではない。さらに、疑惑も多い政治家で、それに応えない政治家だったことは確かだ。
 しかしながら、私は、汚い言葉を言ったことはない。批判はしても中傷はしなかった。それは、凶悪犯罪者を除く全ての人に対してそうだが、それは言論が自由だからだ。ただ、
それより何より、凶悪犯人は許せない。
 これは、躊躇せず言いたいが、山上徹也は、民主主義への冒涜・破壊を悠然と行う不届き者・蛮行者であり、社会という中でなく、檻の中に一生いるべきだった人物だった。
 改めて、安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。

安倍元首相銃撃暗殺事件の件【中編】ー当時の警備の問題点と山上容疑者の動機の問題点―

まず、警備の問題である。

 0点か100点かと言われる警護・警備において、警護対象者を死なせてしまったことは、大失態であり、0点である。これは、警備の絶対的な使命・宿命である。何事もないことが100点で、何かあったら0点。
 もっと言えば、今回のように、警護対象者を死なせてしまったのなら、それはマイナスと言えなくもない。警護・警備にとって、最悪の事態をむかえたと言え、国内・国外からの批判と、警察、警護・警備に対する信頼が地に落ちたと言っても良いかも知れない。現に、そうした批判の声は、国内外で出ているようだ。

では、なぜそうした警備が行われたのか。
指摘されるのは、
①場所が悪い。
②後方確認が不十分(近づけさせたらダメ)。
③1発目から2発目までの反応が悪い。
④警護官の立ち位置が悪い。
である。

 ①について。周囲360度を警戒しないといけないような、開けた場所であるということ。例えば、後ろが壁であれば、後ろから狙われる可能性は低くなるが、開けた場所の場合、全面が狙われる場所になるということだ。つまり、壁や車が対象者を見え難くし、邪魔をしてくれるということ。今回は、それではなく、全面が開けた場所だった。この場合、連携が取れる数十名が必要と考えるが、今回はそれが出来ていなかったようだ。公式発表されていないが、人数面と特に連携面でどうだったか、検証が必要だろう。

 ②について。後ろを向いている警護官風の人が少ないということ。所謂、後方のガラ空きさ。そして、犯人が近づいたとき、その段階で、すぐ反応し、無線で連絡を取り、寄ってマークすること。これが出来ていなかった。後ろは聴衆も少なかったはずだ。その中でマークすることがなぜ出来なかったか。カバンから取り出す瞬間、構える瞬間、1発目の後に、制止出来なかったか・声を出せなかったかと。

 ③について。1発目から2発目までは、2秒弱ある。1発目の後、安倍元首相を抱え込むような人がいなかったのが残念だ。前編に書いたが、鉄板のカバンをかざした警護官風の人はいた。しかし、体でガードする人がいなかったように思う(スーツを広げ、後ろから安倍首相に突進・抱え込むような)。これは、咄嗟だから難しい。命を捨てる覚悟を常に日頃から持っておく必要もあろう。現に、そうしていたら、警護官は負傷等していただろう。しかし、Twitter等で出されているように、アメリカで、過去にレーガン大統領が銃撃された時、手を広げて盾になった警護官がいた。警護官は負傷したが、今でも有名だ。今回、手を広げてガードしたのは見られず、屈んでいた。難しいし、辛いし、とても勇気がいることだが。又、広げてガードしなくても「安倍さん、伏せて」と声を出すのは、最低ほしかった。

 ※尚、ここで特筆しておきたいのは、広げてガードした人はいなかったと見られるが、護身・危機管理の面で、優秀な人はいた。銃撃時の映像を見ると、県警のカメラマンだろうか、聴衆を撮っていた方だ(おそらく、警察官では?)。この人は、ちゃんと1発目で瞬間的に伏せている。体で反応し、驚くよりも早く冷静に伏せ、かつその後にしゃがみながら移動している。移動中に2発目がきているので、十分に素晴らしい体勢だった。もし、安倍元首相はじめ、多くの方が、この人と同様の行動を取っていれば、大事には至らなかったのではないかと思う。これは、私も勉強になったし、見習いたいと思った次第である。しかし、警察官なら自らだけでなく、警護対象者もお願いしたいが。

 ④について。警護官の立ち位置が、警護対象者から遠いということだ。これは、元警視庁OBで、警視庁SPだった金井祐一氏が指摘していた。確かに、1秒以内くらいに警護対象者に触れるような位置にいないといけないかと。

以上、警備の問題点を指摘しておく。

 ただ、付言するが、これは、私の警察・警備・警護全体に対する批判ではない(現在の警視庁長官だけは好きではないが・・・)。あくまで叱咤激励である。むしろ、私は、警察大好き・警察応援隊だ。だからこそ、今回の件は悲しい、悲しすぎるほど、悲しい。今回の件の警備批判は、警察OBからも多数出ている。是非、見てほしいが、元警視庁SP、元SIT隊員、元警視庁刑事、元神奈川県警刑事、元埼玉県警刑事、元大阪府警刑事、元徳島県警刑事、元公安捜査官、民間SPの元警察官、元警視総監等々がコメントを出している。むしろ、批判していないOBがいないのではないか、と思うほどだ。
 是非、ここから検証し、出直してほしい。

安倍元首相銃撃暗殺事件の件【前編】ー当時の警備の問題点と山上容疑者の動機の問題点―

 2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良県での選挙応援演説の最中、銃撃を受け、そのままお亡くなりになった。まずは、ここに、安倍氏に対し、ご冥福をお祈りしたい。

さて、この件について、現時点での問題を2つ指摘しておきたい。
1つ目は、警備の問題点。2つ目は、容疑者の動機である。

まずは、事件の状況をみてみる。
 犯人は、山上徹也容疑者という。元海上自衛隊員(任期付)だ。安倍元首相の背後を取り、周りをキョロキョロしながら、軽装と肩掛けバックでいた人物。その距離、数十メートルか。そこから、バックに入れていたのか、自作と見られる銃(手製。鉄パイプのようなもの2つをテープで頑丈に括り付けたものと見られる)を使用し、数メートルの距離まで、安倍元首相の背後に近づいて(3mとも5mとも)、銃撃を行った。引き金を引いたのは、2回と見られる(銃弾が何発かは、別。これは現時点で確定情報なし)。

 安倍元首相の至近距離での銃撃時の映像を見ると、1発目の銃撃時に、もの凄い爆音と煙がたって、その後、1秒ちょっとで、2発目が銃撃されている。
 1発目では、安倍元首相は、振り返り、何事かを確認するような仕草をしている。その時、その他の多くの方は、何事かとボーッとしている様子。近くにいる人は、逃げたりする人もいる。SPらしき人の中には、鉄板のカバンをかざして前に出てくる人(警護官だろう)も見られ、同じくその後についていく人(警護官だろう)も見られる。少し離れた所では、犯人に駆け足で向かう様子もある。
 2発目の時は、安倍元首相は振り返った場面のようで、そこで撃たれたと見られる。前を向いて1歩2歩と歩み、倒れられている。時を同じくして犯人は、後方で、すぐに確保されている。先程、鉄板のカバンをかかざした警護官風の人と、後についてきた警護官風の人は、安倍元首相に目をやり、緊急事態に気付く。

以上が、銃撃時の主な状況である。

個人的にこんなことを政策としてすべきなのにと思うもの

 政治家が「こういう日本にしたい」「こういう政策をしたい」というのだから、私も、と思い、もしも自分だったら、こういう政策をしたいということを書いていきたいと思います。
 尚、これらは、あくまで現在時点の社会状況等を鑑みたものであって、過去も将来もこうであるべきということには、必ずしもなりませんので、ご留意下さい。
 又、政策とは膨大なものですので、加筆・修正していくこともあります。

脱原発(減原発の計画表を策定)

奨学金の無利子化(奨学金で利益を得ることを止める)

・自宅療養ゼロ体制構築と月1100円で可能なPCR検査体制(次の波に備える)

・保健所体制の改革(保健所の業務逼迫を解消。業務内容を分掌化)

・高齢者への仕事支援(シルバーセンターの改革・充実化)

ハローワーク改革(ある程度の年齢にいっても就職できるように。民間の視点導入)

・銀行改革(土日も対応できる体制。貸出し金利について、柔軟性のあるものにする)

行政改革(一定の業務は、土日や夜間も相談できる体制)

相続税改革(金持ち(貯蓄が多い)の子は金持ち(貯蓄が多い)になるのは不公平。経済的な意味でも使ってもらう。出来るだけ残させない。残させたとしても税金対策が出来てしまうようなものを認めない)

・年金と社会保障の改革(年金は、所得と貯蓄が少ない人(例えば、貯蓄が3,000万円以下、かつ1人月額16万円以下の手取り収入の者)にその差額を支払うものへと変更)

・相談所の充実化(いじめ相談、生活相談、法律相談、就職相談、学業相談、家庭相談等)

自治体主催の35歳サミット(少子化対策35歳の成人式Ver.)
・公務員採用にあたり、応募者の男女割合を基に、合格者の男女割合を決定(男女平等の目標値化)
・防災・復興省の設置(各種災害が多い国として主導的役割を果たす)
・公共事業は、新設よりも既存の見直しを優先させる(地震対応等への備え、現状の点検)
公営住宅の一定数の確保と生活保護の一部現物支給化(最低保障は守る)
・デジタル庁に、ネット上の誹謗中傷に対応する部門を設置(ネット版労働基準監督署)。
・防衛費の見直し・削減

この世に死ぬ権利はない ー命の尊さについてー