哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

安倍元首相銃撃暗殺事件の件【後編】ー当時の警備の問題点と山上容疑者の動機の問題点―

最後に、容疑者の動機について考えてみたい。

現在、山上容疑者は
「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思い」
「母親が団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃに」

 ということで、今回、山上容疑者が犯行を行った理由は、安倍元首相が、その特定の団体と関係が深いから犯行に及んだのだという。尚、その特定の団体、特定の宗教団体とは、統一教会と言われている。又、山上容疑者の母親は統一教会で、山上容疑者自身は、サンクチュアリ教会へ入信しているとの情報がメディア報道で一部でている(警察もそうであるが、一般的なメディアで、宗教団体名を明かしていないのは、宗教の自由にかかりその宗教団体に対して愉快犯の攻撃が向くことを防ぐ目的、容疑者の一方的な見方により安倍元首相の思想観・宗教観を歪めない目的等が考えられる)。

 しかしながら、山上容疑者のこの犯行動機を、そのまま受け入れることは、少なくとも私は出来ない。なぜなら、その宗教団体に恨みがあるなら、その宗教団体であるべきであり、安倍元首相であるべき理由は全くない。かかわりがあったとしても、単なるかかわりで、安倍元首相の職業は、政治家である。単純に、安倍元首相よりも、宗教団体に関わっている関係者など、山ほどいるだろう。そもそも、山上容疑者は、岡山でも安倍元首相を襲撃しようと計画していたとの情報もある。つまり、狙っていたのは、その宗教団体ではなく、安倍元首相だったと言え、他の人は具体的に狙っていないということが明らかであろう。

では、なぜ、こうした偽証、嘘をつくのか。私は、それは、山上容疑者の死刑回避にあると考える。

 そもそも、この山上容疑者は、知的水準としては、いわゆるエリートと言える。学歴・学校歴から考えて、ある程度の高等教育は受けている。この犯行にしても、相当な綿密な計画をしているはずだ。そういう山上容疑者だからこそ、人生の終わりも計画しているはずである。死刑を望むような、無謀な犯罪者もいるが、山上容疑者の場合、そうした苦を避けているように、供述から感じる。

 ここで「一人で死刑になるはずがないだろう」という読者がほとんどだろう。だからこそ、山上容疑者もそう考えたのだと考えているが、それは甘い。2007年の長崎市長銃殺事件において、長崎地裁が第一審で「選挙を混乱させるな民主主義の根幹を揺るがした」として、死刑判決を出したのである。弁護側が民主主義に対するものではなく、個人的恨みであるから、個人と個人の問題ということで、いわゆる、永山基準(一人殺害で死刑は中々出ないような基準)を求め、控訴。結果、最終的に最高裁無期懲役となり、犯人は獄中で病死したとされる。

 つまり、個人と個人ではなく、民主主義への挑戦であれば、数は関係なく、死刑に十分になり得るのである。それは、我が国の根幹、社会の根幹をなすものが民主主義であり、そのために社会があり、政治があるということからすれば、我々が一番守っていかなければならないものなのである。だからこそ、最大限に尊重され、それを蔑ろにする者へは、極刑をもやむを得ないという判断である。

 しかるに、今回の件。山上容疑者の宗教団体云々の供述の件は、言っていること(供述)と、やっていること(犯行、行動)とが全然一致していない。そういうことからすると、犯行に至る供述は、支離滅裂だと言える。
 山上容疑者が、その宗教団体によって、自らとその家族を無茶苦茶にされ(されたと感じ)、そこに恨みや悲しみがあったことは事実だろうが、狙ったのは、憲政史上最長の首相在任であった安倍元首相であった。つまり、そうした自らの境遇に対し、社会を逆恨みし、その社会の急先鋒が安倍元首相であったのだろうということが言えよう。つまり、山上容疑者は、自らの最後に、民主主義の破壊を選んだということになる。

 こうした、個人が民主主義を破壊するような行為には、死刑をもって望んでほしいと切に願いたい。又、長崎市長銃殺事件(長崎市長射殺事件)よりも、今回は罪が重いと言える。市町村の長ではなく、国権の最高機関の議員であり、憲政史上最長の首相在任者で、今後も首相再登板の可能性のある者への犯行であるということ。そして、山上容疑者は、爆弾や銃を作っていたということ(家宅捜索にて)。そういうことからしても、罪は相当重いだろう。山上徹也へは、死刑以外に選択肢はないと考える。
以上、この事件の件である。



追伸
 私は、安倍元首相の政策は、私の考えと一致しない点が多かった。その意味では、安倍元首相は好きではない。さらに、疑惑も多い政治家で、それに応えない政治家だったことは確かだ。
 しかしながら、私は、汚い言葉を言ったことはない。批判はしても中傷はしなかった。それは、凶悪犯罪者を除く全ての人に対してそうだが、それは言論が自由だからだ。ただ、
それより何より、凶悪犯人は許せない。
 これは、躊躇せず言いたいが、山上徹也は、民主主義への冒涜・破壊を悠然と行う不届き者・蛮行者であり、社会という中でなく、檻の中に一生いるべきだった人物だった。
 改めて、安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。