哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

哲学するということと、答え

哲学というと、根本的な問題に対して、深く思考を巡らすということになる。

私は、中学生くらいに、哲学にハマった。
中学生から、大学の哲学科に行って勉強したいと思っていた(実際は法学部)。
そんな中学生、中々いないだろう。

年齢を重ねるにつれ、そういう哲学好きが周りにあらわれてきた。
しかし、私とそういう人とは、話があまり合わない。

私と、他の哲学者(哲学する者)との決定的な違いがあった。
それは、私が考えに考えて結論・答えを出すのに対し、彼ら哲学者は、答えを出そうとはしない。
ただ、考えるのみだった。

私は「人はなぜ生きるのか」に対しても「人はなぜ、人を殺してはいけないのか」に対しても「人はなぜ、自殺してはいけないのか」に対しても、答えを出してきた(詳しく知りたい方は、この哲学カテゴリーの過去分を参照されたし)。

その答えは、ほぼ今まで変わっていない。根本は同じだ。

かといって、それと異なる答えがあったとしても、私は受け入れる。それが哲学だ。哲学とは、自由発想である。宗教と対比されるが、教義はない。どう考えようが自由で、何かに縛られることもない。絶対的なものも何もないのである。

私は、答えを求める。正しさを追求する。あるべき道を追求する。あるべき考えを追求する。あるべき行動を追求する。尚、これらあるべきものは、一つに限らない。複数ある場合も当然あろう。しかし、答えなくして哲学なし。それが私の哲学の役割だと考えるからである。