哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

共犯と共同正犯は別物

刑法の共犯規定は、共同正犯、教唆犯、従犯(幇助犯)があります。これらをひっくるめて共犯と言っているわけです。刑法の60条、61条、62条ですね。共同正犯は、共犯の一部です。

2人以上で行うのが共同正犯ですが、それはイコール共犯ではないです。教唆犯、従犯(幇助犯)等もあります。この2つは、2人以上で行うというよりも、その字の通りですが、教唆、幇助した者です。これらは、共犯とされます。

刑法60条では「2人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする」です。「共犯は」ではないです。日常語とは違うので、注意が必要です。よく間違えるところでもあります。あくまでも「2人以上共同して・・・」となっています。ちゃんと法律は使い分けているわけです。ちなみに、よく共犯を、任意的共犯・必要的共犯に分けることがあるのですが、共同正犯や、先ほど挙げた教唆犯等は、任意的共犯の中に分類されます。

「正犯は共犯の中心的存在である」というのは、複数の関与者がある場合の最終的処理人員として、正犯(共同正犯、間接正犯を含む)が97、9%を占めている(昭和27年~平成10年のデータ)ことを言っていると思われます。なので、複数の関与者がある場合には、共犯の中でも、正犯が中心だよ、つまり、共犯では、正犯が多いんだよ、ということです。他、教唆犯0、2%、幇助犯1,9%です。分かるように、共犯の中で正犯が中心ですね。

そして、単独正犯と共犯についてですが、これは別物です。単独正犯は、あくまで一人なので、共犯ではないです。共犯とは、その犯罪に、複数の者がいろいろな形で関与していること。2人以上で意思を同じくして協力してやれば共同正犯、そのうちの者が、実行はしていないが、教唆したなら教唆犯、そのうちの者が、積極的な協力と言えないが、実行者の行為をしやすくするように幇助すれば、幇助犯ということ等になります。

ちなみに、私の持っている本は、西田典之氏の『刑法総論』等刑法総論の本が4冊くらいです。しかし、まずは、自分の持っている本の定義部分を読み込み、そして、法律の条文を見て、又、さまざまな本に目を通してみるとよいと思います。法を学習しようとする皆さん、こうして、法を学んで下さい。ピアノやそろばんと同じように、繰り返しで体にたたき込んで理解して下さいね。同じテーマの沢山の書物を読みあさって下さい。

ここで、理解度優先として、国語+法律的に再度、共犯と共同正犯について書きます。
正犯→犯罪を実際に行った主たる者
単独正犯→犯罪を一人で行った者。これはわかりますね。
共犯→犯罪の実現に関与した2人以上の者。共同正犯、教唆犯、幇助犯等がある。
共同正犯→犯罪を2人以上で行った者(ただの関与ではない深い関与。意思の合致などが必要)。例えば、ABがCを殺そうと思い、AがCを抑えつけて、BがすかさずCを刺殺。
教唆犯→犯罪を行ったものとは別に、教唆したものがいる場合。例えば、AがBに「絶対にCを殺した方がいい。」そして、BがCを殺害。
幇助犯→犯罪を行ったものとは別に、幇助した者がいる場合。例えば、Aが「Bに今、刃物を渡したら、Cを刺しそうだな。」と分かっていて。AがBに「刃物そこにあるよ」そしてBがCを殺害。

教唆と幇助→2人とも、殺害の意思があり、それにかかわったとまでは言えない。普通、そそのかされてもやらないし、刃物を渡されたら刺すというのも、おかしい。なので、共同正犯とは言えない。だって、Aがイライラしていたからちょっとそそのかしただけ。自分が刃物を渡さなくてもやったと思った。としたら、どうでしょう。明らかに、正犯の意義に外れますよね。しかし、何らかの手段で犯罪行為を助けている。よって、これらを「共犯」と呼んでいるわけです。つまり「正犯とは何か」というのが、重要です。ややこしくすると、民法上の強迫みたいなもんです。刑法では脅迫です。民法のは、強暴と、脅迫を兼ねた概念というような説を聞いたことがありますが。共犯は、共同正犯の略ではないです。

共犯は、犯罪の実現に関与した2人以上の者で、そのうち共同正犯は、犯罪を実行したと判断できる2人以上の者という違いがあります。ざっくり言うと、共に犯罪にかかわったら共犯。その中で、共に同じ意思を持って犯罪の実行をしたなら共同「正犯」です。

共同正犯、教唆、幇助以外にも、共犯はありますが、そこは、分かりやすさを優先しこれに絞りましたが、大体分かってくれたかと思います。