哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

なぜ人を殺してはいけないのか、についての考察

論理的な一説明。
 
「殺す」ということは、相手を「なくしてしますこと」です。
 
 相手をなくすということは、殺すことを正当化しています。つまり、同じ「存在である」自分も殺される者であるという事です。自分が存在するにもかかわらず、相手を「なくす」ことが可能なのでしょうか。

 相手も自分も殺される者と考える、つまり殺しの正当化を考えると、自分自身の存在がない事になります。

 つまり「存在しない者は殺せない」ということであるので、ここに殺しが論理的に間違いであって、正しいことではないということの論理があると思います。
 
 理解出来ない人のために、付け加えますと。
 究極的には、同じ人間ですから、ある人がある人を殺すということは、同じ人である人を殺すことです。これが正当化されたら、殺す自分自身も同じ人であるがために、殺される存在になるわけです。そうすると、お互いに存在がなくなってしまいます。だって、同じ人ということで、お互い殺される存在になるわけですから。そこには、殺す存在が2つ、かつ殺される存在が2つと言えるからです。これでは、自らの存在証明がなくなってしまいます。