哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

エスカレーターの片側空け問題について ―マナーへの大いなる疑問―

エスカレーターの片側空けの問題というものがある。

 

つまり、本来エスカレーターは、横に二人分ほどが乗れるものであれば、

左右2人が乗り、歩かずに直立不動の状態で、そのまま輸送されるものだという。

決して左右どちらかに詰めて乗り、一方を歩くか、歩く人用に空けておくのではないのだそうだ。

これは、数年前に知った。

最近では、この本来的な乗り方がマナーだと説明されるようになっている。

 

しかし、当然ながら、片側だけにしか乗らず、片方側を歩く人は多い。

心理的なものだろうか。そうなってしまう。

これは、本来の乗り方が自然(マジョリティーというべきか)なのではなく、

不自然(マイノリティーというべきか)だからであろう。



そして、もしこれが不自然だとすれば、そもそもの想定外(ミス)でしかないのではないか。

さらに、これを提供している側が、その想定外(ミス)を棚に上げ、

マナーというものは、こういうものですと提示することは、些かおこがましいものすらある。

最近は、一部に、その風潮がある。

 

自然に反して、どうしても、そういう乗り方を推奨するのなら、

エスカレーターの左右上下に、乗り方の図柄等をちりばめ、

大々的に宣伝でもする必要がある。音声も必要だろうか。

 

そこまでしないと、本当の解決にはならないし、

本当に解決しようとする気もないものと受け取られる。又、私もそう受け取っている。

しかし、又、実際そうなのだろう。少し少しの啓発で時間をかけてという思惑だろう。

重い腰は上げない。まあ、そういうレベルの話なのだろう。

 

よって、自然な形で乗る人は多く、今後も継続されていくことだろう。

そこに悪意も何もない。

しかし、止まっている人を押すのは話が違い、立派な悪意で暴行だ。

相手が不自然(マジョリティーにとってはマナー違反)だと思っても、暴力はいけない。

マナー違反イコール犯罪では、決してない。これは、どちらの立場からも言える。

尚、避けて進むのは、注意を怠らなければ、問題ないだろうとは思う。

しかし、通り過ぎた後、睨み付けるのは、よくないといったところか。

 

さて、本日知った話ではあるが、ヤフーニュースに、以下のような記事があった。

エスカレーターの「片側空け」に困った “立ち止まるマーク”が登場 その深いワケとは

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00010002-sp_ctv-soci

最終更新:7/5() 16:40  中京テレビNEWS

 

上記記事で「困った」というのは、逆側に立たざるを得ない人だろう。

紹介されているのは、マヒがあって、左で手すりを掴みにくい方で、

右ならマヒがなく、掴めるという。こうした方もいる。

そして、キーホルダーを作って「訳あって立ち止まっています」とされているようだ。

何とも、窮屈な思いをされていることだろうか。

 

こういうのも何も、原因は不自然さにある。

大多数の方が、何の説明もなく、やってしまうこと。

これが自然ではないだろうか。

 

そうするならば、エスカレーターの所謂マナーとされるものは、

決して自然なものではない。

人は、自然と、どちらか自然な方に手をつきやすい。

そして、前を行く人の動作に影響されやすい。

そういうことをとってみても「何がマナー違反だ」と、反発したくなる。

 

そもそも、世の中には、多くのマナーと言われるものがあるが、

度々、そういう不自然に出会うこともある。

しかし、本来的なマナーは、様々な考えの人が、

同じように行動できるようにすることで、

各々が恥をかかないようにつくられていったものではないのか。

 

そういうものは、歴史的・文化的に積み重ねられた、そういう体系であって、

エスカレーターのマナー」のような、

不自然を強引にあてはめるような、方法では決してない。

よって、マナーと言うべきではなく

「単なる本来想定された乗り方」を超えるものでもその以下でもないはずであろう。

それを、歴史的・文化的な「マナー」と同一することは、

自然に行動している方(マジョリティー)を、マナー違反とするものであり、

大変不適切であると解される。

 

マナーという言葉が広義になり、こういう言葉になっているのだろうが、

想定内・想定外の乗り方が本来だろう。

 

想定外の乗り方をされたら、マナー違反というのは、おこがましいものがある。

自然がどういうものかを考慮し、それをシステム・心理等で制御するのが本来だろう。