哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

死とは何か―動物は電気的な信号で動く―

死とは、無である。しかし、これを想像出来ない人は多い。
ただ、死に近いことを我々は、毎日経験しているとみる。それは睡眠だ。

睡眠時、夢を見なければ、我々はどうなっているのか、全く自分自身では制御出来ない。ただの暗い闇だ。しかし、いつか起きるので、我々はそれを死とは呼ばない。ただの睡眠になる。しかし、その状態で目覚めなければ、それは死に通ずるものではないか。

さて、人間には、死を恐れる本能があると言われる。それは動物としての繁殖の本能からくるものが大きい。題目で、動物は電気的な信号で動くと書いたが、我々が電気的な信号で動いていない、又は動かない時があり、あった。それは、生まれる前である。母親の体内にいた頃、我々は電気的な信号がなかった。生まれて出てきて電気的な信号を得て、はじめて認識が出来てくるわけである。だから、その意味で、我々は、生まれる前は、死と同じ体験をしているとも言える。そして、死とは、その前に戻ることとも言える。死として、脳に栄養が行かなくなれば、電気的な信号は起こり得ない。それは死を意味する。

つまるところ、人間は、その意味で、脳と他の臓器は繋がっているとも言えるし、脳が主役だとも言える。電気的な信号により認識が生まれるだろう。