哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

コロナを契機とした新しい時代へと進もう―私案から―

現在、新型コロナウイルスが猛威をふるっている。

多くの方が自粛、又は業務が普段と異なるということで、
自宅にいる機会も多いことだろう。

自宅での自粛にしても、自宅での業務にしても、
外の世界とは、違った何かしらの不自由さを抱えているはずだ。
そういう不自由さを、どうにか最大限克服できないか、ということを私は考えている。
つまり、自宅の中でも、外の世界と出来るだけ同じようにするのである。

では、その不自由さの大きなことは何か。それは、私は画面であると考える。
どういうことか。
実は、自宅の中にいて、外と繋がるのは、
窓やベランダ、庭等からの景色等を除けば、情報通信機器の画面でしかない。
よって、その画面を外の世界に近づけるには、どうすれば良いかといえば、
まずは、その画面を大きくすることが考えられる。
それは、30インチのテレビくらいか、それより大きいかくらいだろう。
もちろん現状では、費用負担が大きすぎて、そうしたことは難しい。
しかし、今後こうした需要が増えれば、驚くほどの安い費用負担で、
例えば薄型のシート等に、くっきりとした画面を映し出し、必要な場合にのみ、
それを利用することが出来る。しかも、それが当然にパソコンに搭載される時代も、
すぐそばにきていて良いのである。そして、映画館とまではいかないが、
それの数分の1程の大きさのスクリーンを、自宅に出す。

Skypeなり、ZOOMなりで、他の人の様子をその画面にずっと出して繋げておけば、
それだけで、最早会社にいる感覚に近い。画面越しに会話も出来る。
又、友人とお茶をしたり、簡単な室内ゲームであれば出来る。
画面が小さいので、どうしてもテレビ電話感覚が抜けないが、
それは、画面が小さいからであって、又、画像が悪いからであって、
それが何倍も大きい画面で、くっきりした像ならば、そうした違和感が緩和される。
そうすれば、外の世界との差は、縮まると思うのである。

こうしたアイデアは、様々あるし、出てくるだろう。
多くの人が、具体的に、そうしたアイデアを共有し、ポストコロナを考えるべきである。
それは、政府主導などでは、到底出来ない。こうしたアイデアというものは、
必要に迫られて出てくることが多く、それがよりよいアイデアとなりやすい。
この新型コロナウイルスを、ただの早く過ぎ去ってほしい災禍とだけせず、
どういう形になっても、問題ないのだ、この社会は、というような状態にもっていくこと。
これが、これからの時代、いや、進歩すべき時代・社会にとって良いのではないだろうか。