哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

徳島空港の件―たとえ話がおかしい航空事故調査官の話―

今日、徳島空港で重大なインシデントがあったといいます。
そもそも、インシデントとは、アクシデントと似ている言葉。
これは、もう少しでアクシデントだった、という所謂、ヒヤリハット(ヒヤリとした)ということです。

徳島空港の滑走路で車(空港の作業車)が存在していたにもかかわらず、なんと、後ろから猛スピードで飛行機が突入してきた、という話で、あわや、飛行機が車に衝突するところだった、というものです。
テレビやインターネット等で知っている人は多いと思います。今回の件、テレビ等で言われているのは、飛行機の操縦士の好判断で、すぐに、滑走路に着いた瞬間に上昇に転じ、衝突を免れたということです。ただ、これは偶然のようで、天気等が悪ければ、非常に難しかったとの話があります。

しかし、何と言っても、飛行機の操縦士の方は、立派な判断だと思います。それに、天気が悪ければ、今、テレビ等で言われているような、管制官が四人のところ、当時は一人しかいなかった、というようなこともなかったとは思いますが。

一方で、私の問題にしているのは、実はその後の話です。国交省が派遣したという航空事故調査官の話。記者からの「管制塔に管制官が一人ということは、一般的にあるんでしょうか」という旨の発言に対し、スーパーのレジで例えて「お客が沢山いるときはレジに沢山人を出し、お客がいないときには、少なくする。一般的には、そういうことだと思う」という旨の発言をしていました。さて、この航空事故調査官は、どちらの立場の人間なのか、と甚だ疑問に感じたのは、私だけではないはずです。調査官なのか、フォロー役の方なのか。フォローするにせよ、言葉を選んだ方がいいでしょう。

スーパーのレジと、航空管制を一緒に捉えること自体がおかしい。分かりやすそうな例えですが、中身は、すごく残酷です。負傷者等がいないから、そういう発言をしたのだと思いますが、乗客として、又、操縦者としたら、すごく気分が悪い。判断一つで人の命を左右するような飛行機の着陸許可等の指示をする人が管制官です。よって、命にかかわることには出来るだけ、人を割いてほしい、というのが社会的・一般的な本音です。少なくても十分というような話ではないのです。少ないと不安でしょう。今回指摘されているように、一人では、大いに不安。その人に何かあったらどうするのか。その人が悪い人だったらどうするのか、という様々なことを考えるのが、命を扱う現場のはずです。それに比べ、スーパーのレジは、何百人の命を左右する指示は担っていません。お金を預かる役目の人ではあり、スーパーにとっては重要な人。しかし、命とスーパーのお金は違う。そういう人同士を一緒にして、このインシデントを評価するのは、正しいことではないのではないでしょうか。もう、ベテランなのでしょうから、このくらいお分かりだと思いますが。

細かいことを言いたくはないのですが、しゃべるときは、いい格好をせず、しっかりと中身のあることを伝えるべきでしょう。もし、まだ伝えられないのなら、後日お知らせしますとか、内部的なことでお知らせできないが、しっかりとこの教訓を生かすよう、全力で取り組みますの方がずっといいと思います。