哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

読書法―本の読み方の本当のところ―

 現代は、情報化社会だと言われます。大量の情報に接し、理解する必要があるということです。そして、知識基盤社会である、と私が子供の頃に、どこだかの講師の人が言っていました。沢山の本を読め、と言うのです。
 沢山の本を読む、ということは、普通、それなりの時間がかかるものですが、巷には、速読なるものがあり、ものすごいスピードで本を読むことができる人がいることをご存知の方もいるかも知れません。「速読」で検索すれば、又、それ関係の幾多の本を見れば、実際に、それで読めている、としている人がいますし、速読のための方法もあります。しかし、私は、それでその人がきちんと書籍によって、身に付いた知識を得ているとは到底思えません。「私に速読の力が備わっていない」という主張ならば、勝手に言わせておいて結構な話です。ただ、あたかも、それにより、読書が効率化する、ということであれば、私は、そのまま確かにそうですね、と言うわけにはいきません。一言疑問符を述べさせていただきます。
 
 誤解しないでいただきたいことは、私も、大学時代、今でもそうですが、論文を書く際などは、1日に30冊程度読んだことがあります。しかし、それは、論文の作成、ということで読んでいたのであって、読書として読んでいたのではありません。中身を深く理解するというよりも、中身をざっと理解する、ということです。つまり、本と言うものは、意味のない文章があるわけです。例えば、この文章なら、ざっと読むなら、上の文章の9割は読み飛ばしても内容が理解できる文章です。目に留まる、ほう、というセンテンスだけ拾って繋げれば、おおよそは理解できます。なので、そういう、全体的な内容、今興味のある内容以外を省き、ページをめくっていけば、400頁くらいの本は、30分程で読み終えてしまうわけです。そして、同じ分野の本を続けて何十と読んでいくと、その分野が理解できたような気になってしまうのです。つまり、大まかなあらすじ程度であれば、読み飛ばしをとことんまですることで、理解できるのです。
 ここで問題なのは、そうやって理解しても、深くは理解できないため、大まかな内容はポンと入っても、書名や著者を忘れたり、深く突っ込まれた時に、どこに書いてあるかは分かったとしても、すぐには分からなかったりと言ったことが生じます。よって、こういうもので月に何十、何百、何千冊とか言っているならば、本当にそれでいいんですか、と言いたいと思います。まあ、それで満足しているのなら、それに越したことはないのですが、そういった読書法だけが唯一であるかのように言い、これまでの比較的遅い読書法が誤りであるかのようにするのは、いただけないことだと思います。各々それぞれの読書スピードがあり、いきなりスピードだけ挙げても、それによって得るものもあるでしょうが、失うものもあるということを述べたいと思います。
 唯一の読書法だという、そういう方は、医師国家試験(医学部から行かなければいけませんが)、司法試験、公認会計士試験を1年以内に合格してほしいですね。1年でしたら、費用対効果もいいと思います。逆に、本を読むことと、覚えることは違うというのは、いけない論理です。なぜなら、本を読める、ということは、それを理解し、頭に入れることが前提ですから。つまり、本をめくっているのを見ているだけなら、誰でもできるわけです。しかし、それを普通、読書とは言わないでしょう。頭にある程度入れなければいけない。本を読むということは、そういう理解の深さも含んだ上で、各々の読書スピードがあるのです。よって、普通の感覚では、早く読めるということは、それだけ理解が早くなっていなければ、中のことが理解できません。それでは、読書ではなく、読み飛ばしというべきなのです。私が言いたいのは、読書スピードを速めることは、必ずしも理解が早くなることと比例しないので、それは読み飛ばしの技術だということ。そして、読み飛ばしの技術も、酷いものになると、内容のほとんどを飛ばす技術であり、残るものは、数行程度の感想と浅い内容でしかないということ。それで、唯一の読書というのは、おこがましいのではないのか、はじめからきちんと説明すべきだろう、ということです。内容が伴わずに、速読ができるだけでスゴイというのは、その人がどれだけ理解しているかを無視しているため、本末転倒であると言いたいのです。
 
 そこで、私は、一つの読書法を提案します。これは、哲学者の梅原猛氏の『現代人の読書法』による方法です。
 彼は、読書法は3つあると言います。
 一つ目は「新聞・雑誌・ベストセラー的な多くの書物を早く能率的に読む」と。好奇心の満足、現代を生きる知識の獲得の仕方です。これは、上の話で言えば、飛ばし読みを入れながら読むということでしょう。
 二つ目は「専門的知識を与える若干の本を丁寧に読む」と。専門的・体系的に理解する必要のある知識の獲得の仕方です。何度も読み、徹底的理解が求められると言っています。つまり、理解しながら読み進める、ということでしょう。
 三つ目は「自分の一生を左右するような大切な本を自分の魂の深みで読む」と。彼は、これについて、他の2つと異なり、深い洞察を加えています。人は、己の「魂の深みで読まねばならぬ何冊かの本をもっている。本との出会いが、その人の一生の運命を左右するというような本がある」として、そういう本は、何気なく、触れた本であるが、自らに何かしらピンときて「熱情と混乱をまき起こし、魂の最も深い奥底で、その人間を深く変化させ」る。その変化が、何年か後に、その読者の中に「一つの巨大な思想を成熟させることがある」と言っています。
 以上、新たな知識の獲得、専門的な知識の獲得、魂からの叫びによる思想形成の契機の獲得という、3つの読書法を梅原氏はすすめています。
 
 各々、色々な読書法があると思います。私も、私なりの読書法があります。皆さんは、ただの読書量や速さの比べで満足しない、そういう大きな力をもって、読書してほしいと思います。しかし、他者を見て、そのくらい読んでいるんだ、私も頑張ろう、という意気のため、モチベーションのためならば、それはいいことだと思います。