哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

韓国セウォル号事故について考える―エキスパートエラーを知っていますか―

なぜこんなにも多くの行方不明者・死者がでているのか。
 
それは、いくつもの鍵がある。
 
第一は、エキスパートエラーということ。災害の分野での専門用語であるが、専門家という人(ここでは、船のアナウンス)の間違いである。マニュアルにそうあった、という話もあるが、マニュアルは、絶対に完全であることはない。常に更新されるべきものであり、完全にマニュアルなど、こんな事故の際には、何の役にも立たない。そもそも「絶対に動かないでください」といった専門家、その人こそ、沈没寸前と言う事故後の、脱出機会を失わせるという、多くの死者を出した原因と言える。このアナウンスの罪は大きい。つまり、これは、かのアメリ同時多発テロでも話題になったことだが、専門家の意見にそのまま従ったがために、逆に危険に晒された、ということである(同時多発テロでは、上に逃げろや、待て等の言葉があり、その後、倒壊に至る)。では、なぜ、間違えるのか。それは、その専門家が、全体を把握していないにもかかわらず、誘導したことに原因がある。今回の事故で言えば、アナウンスしている人は、そこにはいないのだ。つまり、その状況を知らないで、アナウンスしているのである。そういうアナウンスに、何の意味もないのである。それを多くの純真な学生等が、時間が経つまで気付かなかったのである。私は、これは、騙しに近いと思っている。その一方で、脱出した船員も多い。彼らは、自分たちが安全に逃げられるよう、学生等に動かれてバランスを崩し、自らが脱出機会を逃すことをおそれたため「動くな」とし、自らそのうちに脱出したと容易に推測できる。つまり、自らの脱出のために、学生等を犠牲にした、とんでもない一大作戦がしかれていたとも推測できるのである。
 
第二に、救助の遅れである。船全体が沈没してしまうまで、多くの時間があった。通常であれば、それまでがカギである。しかし、政府等は、今回の事故を、当初、甘く見ていたのではないかと思う。まず、最初の段階で集まった人員、そして救助船等の少なさである。マニュアルと言うか、通常であれば、あれでOKの計算をしていたと思う。しかし、それは、多くの乗組員が外で救助を待っているような状況での話である。よって、それを想定しての少なさだったと思う。ただ、今回は、多くの人が中に取り残され、又、アナウンスの悪影響から、危機感がない状況であり、相当な段階まで危機感がなかったと推測される。よって、そこでの人員と救助の数は、当初出てきたモノでは、全く足りな過ぎるのである。そこで必要なのは、自力で救助活動ができ、自力で責任が取れる救助チームであり、それは韓国にももちろんあるが、数には限りがある。韓国の救助特殊部隊だけでは、危険な者が数百人という救助は不可能である。よって、アメリカや日本等の救助を早くから要請すべきであったと思う。それによって、多少の現場の混乱は考えられるが、自力で救助活動と責任が取れる部隊と言ったら、他国への要請しかない。これにより、全員は不可としても、かなりの数が救助できたと思う。これは、訓練の浅い民間ダイバー程度では、太刀打ちできない。ダイバーの潜水と、沈没事故救助とは、全然違うのである。
 
 よって、この事故は、最初の沈没原因の他に、エキスパートエラーと、状況判断の失敗、という2つの失態によって、起こされた事故と言える。
 
 では、我々がこのような事故に遭遇したら、どうすればいいのか。私が考えてみた。
 
 第一に、船内アナウンスがあった場合、自分がどこにいるのかを判断することである。屋内か、屋外かということ。なぜなら、屋内ならば、逃げ場を傾きや崩壊、火災の高熱等によって失われてしまった場合、逃げ場がなくなるからである。屋外でも危険はある。振り落とされたり、落下の危険である。そういった点に着目して考えることが第一である。そして、脱出が容易な場所かどうかも重要である。
 
 第二に、アナウンスしている人がどこにいるのか、ということである。その状況を知っているのか、知らないのか、ということである。つまり、その場にアナウンスしている人がいても、その人の状況判断が悪ければ無駄なのであり、その状況を知らない者は、もっと危険な人に命を預けているということである。よって、アナウンスしている人が遠いところにいるから従わない、という単純なことも危険であるが、一つの目安として、存在することを知っておく必要が多大にあることを言っておきたい。
 
 第三に、現在の状況である。音、水の進入具合、傾き等であり、状況が悪ければ、手段を考えなければいけなくなる。そして、重要なことは、早い段階で、さらなる上のことを想定し、動いておいた方がよい、ということである。今回の事故では、全てが後手後手であり、先手どこ吹く風であり、多くの貴重な命が失われてしまった。よって、まだ、救命胴衣はいらない等と考えるのは、非常に危険なことである。むしろ、船に乗ったらすぐに着用して当然くらいの感じでいいと思う。比べられないかもしれないが、日本では、釣り船等では、すぐに着用している。大型船でも、傾いてきたら、救命胴衣をすぐに着るべきだと思う。
 
 よって、最初のアナウンスがあった段階で、自分で状況を見るべきであり、脱出経路を数個作り、確認するべきであり、そして、脱出経路が一つだけなら、複数あるところまで行くか、屋外へいつでも行ける状態の場所にいるべきである。なぜなら「動かないで下さい」ということに、何の説得力もないからである。普通、こういう状態だから、動かないで下さいなら、まだ分かる。しかし一言「絶対に動かないでください。救助が来ます」では、山等の遭難ならいざ知らず、沈みゆく船の中では、沈みつつない船でもそうであろうが、そのような言葉は、他人事の言葉でしかなく、何の意味もない。
 
成功すれば、全員を70%助けられる、失敗すれば、全員を1%助けられる、というマニュアルか。成功すれば、80%を80%、15%を50%、5%を5%助けられる、失敗すれば、15%を80%、80%を50%、5%を5%助けられるマニュアルか。今回の、動くな、と言うのがマニュアルならば、前者の立場である。しかし、私は、後者のような動き方を推進したい。
 
 以上、様々な有力な見解があるうちの、一つの私見としてみて頂きたい。
 
 
補足
情報によれば「動かないで」とアナウンスしていた人は、救助されていたようです。しかし、最初の逃亡組には入っていなかったようです。その方は、それが正しいと思ってしていたとのこと。そのアナウンスしていた方は、生き残ったわけですから、一生反省の道を歩むべきです。絶対に正当化をしてはいけません。それはとんでもないことです。自分が未熟者であったにもかかわらず、人々を誘導した責任は重いです。自分の責任で死んでしまった人がいることを深く認識して生きていくべきです。