哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

山本太郎氏の行動について

 山本太郎参議院議員が、園遊会にて、天皇に対し、手紙を渡したことで、問題となっている。今回渡したのは、原発事故の現実を伝える手紙だったという。
 
 天皇への直訴としては、大先輩に田中正造が挙げられる。そこで、彼との比較について考えてみたい。なぜなら、田中正造は、現在、日本において、英雄として語られ、その生涯は、国語の教科書にすら登場する。又、私個人も、田中正造を尊敬する者の一人としていることからである。
 
 山本氏は、田中正造と異なるだろうか。私は、異なる、と答える。私も、原発には反対の立場であるし、労働者、特に下請けの末端労働者の劣悪な環境も見過ごしてはならない問題であると考えている。さらに、選挙の際には、山本氏に一票を投じ、又、今も支持している者の一人である。しかし、今回の問題では、彼の行動の正当性に大いに疑問がある。
 
 まず、何が田中正造と違うのか。それは、当時との時代背景の違いである。当時、天皇は、政治的な存在であり、多くの権力者に利用されてきた地位であった。つまり、天皇に訴えることで、天皇がそれを読み、そして、側近のものに伝えれば、それで政治が動くことが、一応は期待出来得たのである。つまり、現実の政治状況は、各部の権力者が進めていたとは言え、天皇の言葉には、相当の権力があり、それが、大日本帝国憲法にあらわれている。天皇主権である。よって、田中正造の直訴は、命を懸けた一大勝負であり、行動であった。かつ、やむに已まれぬ事情という、最終手段としての行為でもあったのである。それだからこそ、そういう事情一切を鑑みて、彼の行動には、単なる直訴で、もってのほかであり、お咎めということではなく、斟酌すべき理由ありということになり、田中正造が尊敬されるのである。
 
 しかし、現在は異なる。日本国憲法のもと、天皇は、日本国民統合の象徴であり、そして、忘れてはならないのが、憲法4条と7条で、内閣の助言と承認により、形式的・儀式的な国事行為のみを行う、非政治的な存在になったのである。よって、天皇は、象徴として、国家の顔として形式儀礼的なことをするが、政治には、一切関与しない、出来ない、権限がない、という立場なのである。よって、そういった立場の天皇に対し、原発事故の現実を記した手紙を渡すということは、政治・政策に、発言などを含め、関与できない、権限がない天皇に、どう対応すれば政治的にならないか、ということを考えさせることになってしまい、天皇を困らせてしまうだけの行為でしかなく、大変失礼な行為と言えるのである。一方で話題としては成立するかもしれないが、その代償は、とんでもなく逆効果でしかないことも自覚すべきであろうと考える。これが子供の何気ない感謝の手紙のような非政治的なものならば、問題にはならないだろう。しかし、非政治的であることを求められており、政治的なことに関与できない天皇に対して、政治的な手紙を渡すことは、相手を戸惑わせてしまうことでしかなく、逆効果であり、現代においては、極めて非常識であるとしか言いようがないと考える。原発をどうするのか、というのは、原発が相当悪いものとしても、原発が電力会社のもとに存在しているのであり、原発労働者がいるのであり、それをどうやって解決していくのか、というのは、政治なのであり、とても政治的なことなのである。これが、天皇の政治利用だと言われる所以であり、まさしくそれであり、看過されてはならない。
 
 次に、山本氏が「マスコミが騒いでいるから政治利用になる」と言っているが、このことについて考えてみたい。この論理は、一理あり、マスコミが報道しなければ、話題にはならず、政治権力のない天皇に手紙を渡したところで、政治利用ということにはならない。しかし、権力のない天皇を困らせてしまう非常に迷惑者ではあり、非常識であるということには変わりない。マスコミが報道せず、議院内で、内々に問題とし進めていけばよかったのだという意見も至極真っ当なものである。しかし、一理あるからと言って、今回の行為が正当化されるということはなく、今後も慎まれるべきであろう。
 
 よって、今回の山本氏の行動は支持できない。しかし、議員を辞めるべきとは考えていない。政治的に何もすることができないとされる天皇に、政治的なことを書いた手紙を渡したのであるから、何らかの懲罰は必要だろう。しかし、辞職するほどのことではないと考える。彼は、他の多くの議員に比べ、まだ正当なことを言っている人物であり、今回は若気の至りであるが、反省し、活躍してほしいものである。マナーとしては最悪で、恥であるが、議員辞職するほどの罪があるわけではない。議員というよりは、原発問題中心の運動家という感じがする。しかし、国会に対し、重要事項でズバッとモノを申す人物がいなければならない。彼はそういう人物であると思う。
 
 よって、謝罪した上で、こういう所作ではなく、斬新な手法で訴えるのではなく、議員本来の活動に正規の方法で専念すべきである。