哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

若者は、本当に幸福と感じているのか

「多くの若者が不幸と感じていない」「若者は幸福と感じている」という本が人気となっている。
 
 果たして、それでいいのだろうか。本当なのだろうか。私も若者であるが、私を置いておいて、周りを見ても、全く幸福とは感じない。苦労しているのかなあ、と感じる。
 
 私に言わせれば、不幸を不幸だと感じない人は、バカだと思う(これを聞いて怒る人は、自分を偽っている人であるので、この場合、バカと言ってもいいと思う)。幸福・不幸の基準をどこに置いているのか。又、多くが幸福と感じているからと言って、大丈夫・問題ないとするのは、大きな問題である。なぜなら、幸福と感じていない人も存在するからであり、そちらの方の意見を聞く必要がある。又、一般的な幸福と合致しているのか、ということも考える必要がある。人それぞれ違うといっても、一般的に見れば不幸にもかかわらず、幸福であると言い張るのは、社会的な洗脳と言わざるを得ないし、社会的に、価値が低下していく社会へと進んでしまい、よろしくない。又、不幸とする人もいるわけで、その人が正しいのなら、それを社会的に深く考え、対応していかなければならないからである。
 
 人それぞれだと思うが、私が考える最低限より少し上の幸福は、年収500万円以上くらいあり、自分の配偶者(妻か夫)がいて、子供がいて、そして、月に1回くらいは、どこかに遊びに行く。1週間のうち2日は休みが取れ、夏と冬は、他に、続いて3日以上の休みを取れる。仕事の日は、1日約8~10時間の仕事で、時々超えることもある。しかし、睡眠時間は、1日で割ると、7時間30分は取れる。仕事の内容は、自ら満足できるものであり、時々満足できないこともあるし、時々、注意を受けることもあるが、比較的スムーズだと感じている。体調の悪いところは特になく、将来の道筋も見えている。と、このような状況が幸福であると思う。
 
 一方で、今の若者は、どうなのだろうか。ニートやフリーターの若者が多いという。多くない、過去に比べて多いとは言えないと反論されるかもしれないが、幸福であると考えている若者は、そういう人たちの存在を知っているだろうし、身近にいるかも知れない。昨今、話題となっているからである。そして、世の中は、大不況であるといわれる。先が見えないと言われる。このような状況下で、果たして、幸福なのだろうか。私の提示したような幸福観と同じか、それよりも上位にいる人は、どのくらいいるのだろうか。単純計算で考えて、そう多くはないはずである。現在がそうでも、将来がそうということは、真っ暗なのではないだろうか。ある程度の見通しもついていないのではないかと思っている。それが真実であろう。ブラック企業という言葉が流行り、自分もその一員であるという人も多いかもしれない。このように、本当に、幸福なのか、というのは、単なる統計では分からないのではないだろうか。社会的な洗脳化にあれば、不幸を不幸と感じない。その一つが、幸福というのをほとんど味わったことがないことに起因すると思う。
 
いずれにせよ、若者は幸福だ、という論理こそ、社会的な洗脳にすら思えてならない。若者は幸福だ、という論理を呈するとき、それは、幸福だから問題ないのだ、という誤った論理で持っていくのではなく、本当なのか、本当にそれでいいのか、という論理で持っていく必要があるのではないだろうか。幸福だから問題ないのだ、というのでは、現実乖離しすぎていて、説得力はなく、その説得に対するのは、面白半分、話題作り、ゴシップ的な片隅記事だけでしかない。