哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

忙しさを強調する人たちへの疑問

 よく、残業沢山あります、うちはこんなに忙しいです、こんなに厳しいです、ということを強調する人がいる。一体、何の自慢なのだろうか。何の自慢にもならない。逆に、変な会社だと思ってしまう。むしろ、忙しくても、それなりのやりがいがあれば、人は幸せである。忙しさが仕事というふうに感じず、ただの生活の一部として動いているとみれば、住み込みで一日中仕事していたって、何の問題もないだろう。そういう幸福感を得て、仕事をしている人は、沢山いる。一部のテレビの芸能人、一部の飲食店の経営者など。彼らは、逆に、休んでいるのが嫌だ、というようなタイプであり、仕事をしたいのだとかってでてくる。私のかつての職場にもいた。だから、こんなに厳しいけれど、こんなにいい、ということを言ってくれないと、本当はいけない。
 
 忙しさや厳しさだけを強調するのは、自分のことを「かわいそう」と思ってほしいのか、それとも「君にはうちにはいれないだろう」ということを本心で思っていて、バカにしているのかなのだろう。前者なら、話を聞いてやるかと思うが、後者のことが見えると、腹立たしい限りである。そもそも、そういう強調は、他にやりたいことがないので、その会社でも入った、その会社しか入れなかった、という、いわゆる「でもしか先生」の会社員版か、又は、自分の選択ミスという、どちらにしろ「自分はダメな人」と言っているようなものである。忙しく厳しいところにいてスゴイという評価にしてほしいのかもしれないが、そう考えるのは、単純過ぎるのであり、度を越していれば、それは、すごくも何でもなく、ただの不幸な人である。