哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

橋下氏慰安婦発言について考える

彼の発言は、戦争遂行者側の立場からの論理です。つまり、当時の責任者は、彼と同じことを言うでしょう。しかし、それが正しいかどうか、ということが今回の問題であると思います。

1、当時の状況としては従軍慰安婦が正しい、という論理は、客観的ではなく、非常に主観的です。つまり、正しさというものが主観的ということは、受け身ということです。自分の頭で客観的に何が正しいかを考えないで、その状況において、正しいとされたことをそのまま従うことが正しい、という理屈です。つまり、その論者は「正しいと上が言っていることは、例え倫理観・道徳観に反していても、従うべきであり、それは、正しいことであり、逆に従わない人は、正しくない人」ということを言いたいわけです。つまり、絶対服従の考え方であり、全体主義的な価値観です。全体主義は、その一部が正しいとされることはあるものの、実際においては、正しくないことは、そのままにするのではなく、どこかで改めていかなければならないわけですので、そういった考えは否定されることが多いです。よって、そういうことを声高に語ることは、全体主義の肯定でしかなく、つまり、戦争遂行者側の論理ということになるのです。

2、人権というのは後の議論で、風俗業は現にありますが、そこで働いている方の中で、本当に好きで風俗で働きたいと思っている方は、どのくらいいるでしょうか。お金が欲しいが為に働きたいと思っている方はどのくらいいるでしょうか。もっと他に、いい仕事があれば喜んでそちらがいいという人はどのくらいいるでしょうか。風俗の方全員を調べたわけではありませんが、多くは、大好きで素敵な彼と一緒にいることを第一としたいと思っているでしょう。あくまでも、仕事なのです。その仕事は、自らの体を使う仕事です。多くの風俗は、男性のためにつくられているのです。男性の健全育成や性的欲求の満足、犯罪抑止等々のためです。もしも、女性のためを思ってつくられるとすれば、もっと莫大な料金を請求されることになるでしょう。しかし、そうすればお客は少なくなります。つまり、多くはお金が目的の体を張った好きでもない人との肉体労働なのです。では、なぜ、そういった労働をするのか。それが社会の現状で、貧困状況や心の病、気分の落ち込み・寂しさ等があります。人は生まれてくるとき、好きでもない人と愛したいと思うかどうか。総合するに、必要悪ということです。つまり、発言の問題点は、公の場で声高に語ることで、必要悪を、悪ではなく正しいものなんだ、という論理にしてしまったことが、現状をみていない発言であり、短絡的な人権を考えない発言で、今回の発言の問題点というわけです。

3、現実的に従軍慰安婦が必要ということは、現に、仕方なく行っている(他にいい仕事があればそちらがいい、お金のため。又、育ってきた環境に何らかの障害があってのバイアス的な作用がかかった上での決断をした)方に対して、自らの性的欲求満足のため、お金によって相手をするようにということであり、客観的にみれば、男性の道具としての面でしかないわけです。よって、そういったことを声高に必要ということは「性的な現場で働く女性は必要であり、男性のためにからだを尽くしてもらわなければならない」と言っていることであって、それは男性中心の考えということになり、女性の人権が叫ばれるわけです。軍人にとっては慰安の場、しかし、女性にとってみればどうか、ということです。

よって、どのように兵士のストレスを解消させるかということを総合的に、又、いかに人々が3K労働のような状況を脱せられるのかということを複合的に、考えるべきであるにもかかわらず、性的なことを中心に、それが手っ取り早いとでもいうかのように考え、効率だけを優先にして、他の状況を考えないことが今回の問題点です。