哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

人身売買が倫理的にいけない理由―人身売買はなぜいけないのかの本質―

具体例
現在、科学が進歩し、代理母出産などということが可能な時代となった。
 
問題は、その売買される胎児の意思を無視しているということである。例えば、売買された、その胎児が10歳くらいになり「本当の母親のところに戻りたい。そこで育てられたい」と言う事をいった場合である。
 
そうしたときに育ての親の側は、契約として本当の母親の側に子供を渡すことを拒むことができるが、これはこの子供の意思を全く無視している。つまり、自分の意思で望んでしたことではなく、親と言えども第三者によって、強制的に決められてしまう、それが人身売買である。よって、胎児の状態での人身売買は倫理的に問題であると考えられる。
 
代理母出産というものは、現在の科学では可能だが自然的なものではない。つまり、科学によって生まれたものということである。つまり、売買というとき、それは、売られるものに意思があるのかどうか、ということで決まるものだと考えられる。胎児はやがて意思をもつ。
 
しかし、売買時には胎児はそれを示すことが出来ない。それが示すことが出来るのは、自分というものを理解し、自分とは何か、社会とは何か等、自分自身の考え方が出来あがってはじめて自分の意思が出来るのである。
 
私は、母親のリスク等という言葉が存在するようだが、根本的問題は、胎児・子供の意思の無視であると思う。自然的なことを越えて望むことは、単なるエゴでしかない。