哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

橋下改革への批評

最近、大阪市の橋下市長が有名となっています。様々な論議があり、賛否両論多々あります。しかし、大阪市長としては、まだ彼は主要な項目の実現が最終段階まで行っていないので評価のしようがありません。ただ、現段階で様々に描いている構図から、彼の構想がみえてきます。よって、それらを私的に分析しておこうと思います。
 
一応評価できるもの
原発政策。特に関西電力と大阪という関係性としての発言。
②行政構想。様々な問題はあるが、改革しようとする試みは必要であり、かつ重要。
 
一応評価し難いもの
①教育改革。教職員との関係中心。又、憲法秩序との関係。
②彼の発言の一部と、責任の在り方について。制度設計をし、それを運用し、それを自己評価する、こういう段階を経てはじめて一つの仕事と言えます。しかし、彼はどこかで若手等に交代する、託し、自らは最後まで第一線にはいない、というような発言をしているわけです(以上、朝まで生テレビ1月28日放送後半部よりの要旨)。これでは、きちんとした評価は出来ません。
 
ここで、評価できるものを論じても仕方がないので、評価し難いものを中心に述べていくことにします。
 
まず、教育改革。確かに教育改革は重要です。やる必要があるでしょう。多くの方がこのままでいいとは思っていません。しかし、様々なところで論理的な崩壊をきたしていることも指摘できます。
 
 
例えば、君が代問題。最近、東京都の教職員の関係で最高裁の判決が出たことでも有名な問題である。彼は、公務員として当然であり、職務をきちんと果たさない教員には、懲戒処分をすることは当然、としている。しかし、君が代起立・斉唱等は、果たして教職員の職務なのだろうか。条例に書いてあるとしても、直ちにそれは職務になるわけではない。なぜなら、条例の上に法律等があり、その上に憲法があるからである。その憲法に反する条例は、意味をなすものではないのであって、職務ではない。
 
つまり、一般的に言われているように、思想・良心の自由が問題となっている場面において、条例が上にくることはないのである。その条例が認めらるのは、憲法や法律に反しないことである。では、君が代起立・斉唱の強制措置は憲法に反しないのか、という問題になる。憲法学界でも問題となっているものである。私は、君が代を式典に流すことや、教員に歌うように等と言うことは、憲法上問題はないと言えると考える。しかし、歌わなかったことで不利益処分をその教員にかすことは、憲法上、許されないものということができると考える。
 
その理由を一つずつ、この意見に対する反論に対しての再反論という形で説明する。
 
*まず「生徒に対し、校歌を歌わせることも思想・良心の自由になってしまう」という反論である。これに対しては、それは思想・良心の自由にはならない、ということになる。なぜなら、ここで議論されている君が代というのは、国歌である。戦中時において、国歌は戦意高揚の役割を果たしたことは、戦争を遂行する上で当然のことであり、そのことによる事情から歌いたくない、という思想をもつ教員もいる。このようなことは、突飛な意見・思想なのではなく、戦後において、総括として学問界・社会を二分した大きな問題なのである。だから、このような問題が現に起こり、報道されているのである。とって、ある教員の突飛な思想による拒否ではなく、真の思想・良心の自由によった、多様性として認められるべき拒否であり、校歌の拒否といった、背景に思想・良心の自由や、歴史的・社会的背景の存在しない拒否・わがままとは、一線が引かれるべき問題ということができるのである。
 
*次に「日本の公務員として、日本を愛することは当然」という反論である。まず、なぜ、君が代を拒否することを、愛国心がないと言えるのであろうか。君が代愛国心は、イコールなのだろうか。君が代を歌いたくない、という教員の中にも、愛国心を持つ人はいるだろうし、逆に、歌っている人の中に、単なる形のものもいるだろう。よって、そういった単純化は避けられるべきである。例えば、日本の国鳥はキジであるが、キジが嫌いな人は日本国民と言えないのであろうか。外国へ旅行に行く人は愛国心がないのであろうか。日本酒よりもビールが好きな人は愛国心がないのだろうか。こういったことは、実に多く出すことができるのではないだろうか。よって、一つのことのみで、その人の愛国心をみることはできないし、そういった批判は非常に多いわけであるが、本当は論理的な意見とは言えないのではないか、と思う。
 
以上、この問題は、社会的にも学問的にも議論を二分する・したことのあるものであり、その一方の思想に基づいた付随的職務を定め、それを強制することについては、強制する意味・代替性・尊重可能性等から鑑みて憲法上、認められるべきではないものと解する。公務員はルールに従うべき、という意見については、では、憲法を遵守することがその前に重要ではないか、と考える。
 
次に、彼のこれから、ということを述べたい。彼がこれからどんなことをしてくれるのか、行政・地方自治をどのように変えてくれるのか。まだ未知数である。ただ、改革を前面に打ち出してそれを実行する、とした以上、その改革をするだけではなく、その改革によってどうなったか、ということにも又、携わって頂きたいと思う。なぜなら、やり投げ、やりっぱなし、ということになるからである。改革をしたら、それが民にどのように評価されるのか、ということをしっかりを受け止めてほしいと思っている。