哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

自殺が正しくないということの考察

自殺ということの肯定・否定・その他色々な見解が存在するが、論理的に自殺が正しくないということを書いておく。
 
そもそも、人間という生き物は「死にたい」と思って生まれてくるわけではないのである。生きよう、と思って様々な行動をとる。赤ちゃんは、死にたい、と思って生まれてはこない。そもそも、生き物という以上、自ら死を望むことはないのである。ここに、自殺というものが正しくないことの根本がある。
 
では、なぜ、自殺が行われるのか。それは、生きていく中でつらいこと、どうしようもできないと思っていること等があり、それを打ち破りたい、という衝動ということができる。しかし、本来、人間という生き物は、自ら死を望むものではない。ここに至ってしまう原因は、社会や他の人、といった周りの環境にあると言える。
 
よって、自殺してしまう人は、周りの環境に恵まれず、その環境によって殺されてしまう被害者、ということができるのである。一方で、その環境というのは、要因が一つだけのこともあれば、複数のものということもあると考えられるが、それによって追いつめられた被害者なのである。
 
被害者とすると、自殺をしてしまう人は非常に損であるし、又、そういった環境によって誘導されているような状況であると言える。よって、生き物という以上、自ら死を望むことは100%ないのであるから、自らの状況判断をしっかりと確認するという作業が必要であろう。
 
この日本において、どんなことに対しても自殺する必要など全くないのであり、誰かに迷惑をかけてしまっても、その他、身体的・精神的につらくても、全くないのである。
 
自殺の原因を検索すると、①健康問題、②経済・生活問題、③家庭問題、④勤務問題、⑤男女問題、⑥学校問題ということだという。
 
①健康については、自然な死の前に自殺する必要はないのであり、生き物として生きている以上、自然的な死であるべきだろう。新薬開発等の可能性や、見逃している情報等もあるかも知れず、それを頼りにすることもいい。又、一日でも長く生き、様々なことを少しでも得るほうがいいと思う。地球の歴史に比べれば、人間の一生など、又、人類の一生など瞬間の出来事である。よって、自殺する理由などない。
 
②経済・生活問題については、生活できなくなる、借金がある等だろうか。しかし、この世の中において、得をしている人もいれば、損をしている人もいるわけであり、そういう人のために、社会的な保障体制がしっかりと整えられている。自己破産や生活保護雇用保険ハローワーク、役所等である。世間体を気にする人も多いというが、やむを得ない事情であったり、又、やむを得ない事情ではないが、これまでのことを自ら真に反省していたり等の場合には、全く問題はない。ましてや自殺をしようとする人にあっては、こういった形で救済されるべきなのであり、世間体というが、その世間体が正しい倫理に基づかない世間体であっては、社会の環境を悪化させ、自殺者を増やすという、そういった加害者としての環境ということになるのであり、それは、倫理的に許されるものではなく、そちらの方が非難されるべきなのである。よって、社会保障を受け、そして自立していくべきである。
 
③家庭問題について。経済的な事情で配偶者や子供ということもあるだろう。しかし、社会保障の意義ということを考えれば、迷惑が掛かる心配はあろうが、そういった人がいる、存在する、ということを前提でつくられているものなのであって、安心してほしい。又、不倫もあろう。長く愛していた人に裏切られる、というのはつらい。しかし、現代社会において、それは決して珍しいことではなく、多くの人が経験しているものである。自分だけということを思わずに、全国、又、世界各地で行われ、世界各地に被害者がいると思えば、自らもそれにあたってしまったというふうに思えばよいのである。死、ということを選ぶことは、決して得にならず、損である。
 
④勤務問題について。会社での嫌がらせ等だろうか。これに対しては、専門の相談センターもあり、又、ハローワークもある。大きい会社、有名な会社等で恐れる必要はない。現代社会は、どんなに大きくても、有名でも、活躍していても、ある問題点があれば、一気に下降する社会なのであり、それは、メディア報道における不祥事問題でも明らかである。よって、そういったことは、解決できる事案なのである。又、逆のパターンもあるだろう。例えば、大きく、有名会社の上級社員が部下に嫌がらせをしたり、又、不祥事で何か問題になることをしてしまっていたり、ということで会社等に迷惑をかけた場合である。しかし、その場合も、社会的・法的な制裁を受け、そして、社会に還元する人間に生まれ変わればいいのである。
 
⑤男女問題について。好きな人に振られたことや、好きな人に遊ばれていた場合があるだろう。しかし、これは前にも書いたが、長く愛していた人に裏切られる、というのはつらいわけであるが、しかし、現代社会において、それは決して珍しいことではないのであって、多くの人が経験しているのである。自分だけということを思わずに、全国、又、世界各地で行われ、世界各地に被害者がいると思えば、自らもそれにあたってしまったというふうに思えばよい。次の人、次の人ということが重要だろう。この世の中には、何十億もの人がいるのであり、周りの環境に恵まれなかっただけで、その人よりもいい人は絶対にいるのである。よく「そういうこと、又、あの人以上は考えられない」という人がいるが、一人の人間がみてきた環境は、すごく小さい世界でしかないのであり、その小さな小さな環境を飛び出せば、別の世界がある。少し別の地域に住んでみるのもいいかもしれないし、様々な趣味をはじめるのもいいかもしれない。よって、世界を広げてみることで解決できると思う。
 
⑥学校問題について。いじめがあげられよう。いじめは、無視と、行動的嫌がらせの2つがある。無視として、いじめられてしまった場合、極端に言えば、友人は、そこではつくらなくてもいいと思う。数年で、かつ、卒業したら、そんなに会うこともなくなるわけであるし、又、友人関係で不利益を受けることも考えられるからである。友人関係ができればできたでこしたことはないが、なくてもそれなりにやっていける。しかし、その代わりのものは必要である。例えば、友人と話す代わりに、周りの大人と話したり、親や親せきと話したり、町で店の人と話したりである。又、読書や勉強で知識等をつけ、見識を養っておくことである。こういったことで代替すべきである。では、何かの行事のときはどうするか。一般的にあるグループに入れられるだろう。そのような場合は、先生が何らかの行動をとってくれると思うので、それで問題はない。又、行動的嫌がらせもある。これは、大人に相談すべきである。学校の先生、親、いじめ相談センター等がある。状況によって使い分けていくべきだと思う。
 
以上、自殺ということが否定されるべき論理を示し、考えられる自殺の各原因を破ってきた。自殺者は実に多く、それは、社会的なことも関係しているだろう。人が周りとの関係性を重視したり、自らを愛されていないと感じたり、そういった小さな世界における誤りについて、人は窮地になると考えてしまうということが分かる。そういった間違いを間違いと気付かずに自殺をしてしまうのであり、そういった誤りに誤りと気づくことが重要なのである。