哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

究極の選択か?16日サンデル氏と学生等との原発事故討論をみて―大いなる疑問―

土曜日、サンデル氏とハーバード大学の学生、アジアの有名大学の学生、日本の有名大学の学生、日本の芸能人・作家の方等が出演して、福島原発事故の問題について議論していた。
 
私は、これを少しみていたが、途中から嫌になってしまった。まず、そこで出た発言にはありきたりの「原発推進論理」があり、さらに、その有名大学生の知性の程度の小ささを感じたからだ。つまり、彼らは、勉強力的な学ぼうとする力はあるのだろう。しかし、今回の問題を単純的に捉えているようだ。その中で比較的、きちんとした認識と論理を導いていたのは、中国(復旦大学?)の女性の1人の学生等くらいだと感じた。
 
まあ、原発問題を専門的に学んだことがこれまで少なかったようだから、仕方ないかもしれないが、もう少し、論理を充実させてほしかった。つまり、哲学問題ではないです。そこで、賛成・反対を二者択一で分けて、科学的問題を哲学・思想的問題として議論すること自体無意味なことであり、多くの人に誤解を与えかねません。何よりも、有名大が益々嫌いになってきましたね。
 
一例として「航空機事故」の例を原発事故と比較していた学生がいました。
しかし、それは大きな暴論。都合のいい解釈は、いくらでも出来ます。そんなのは、論理的・科学的じゃないわけです。では説明しましょう。
確かに、かつて、ある心理学者が実験をしました。様々な立場の人が何をリスクと感じるのかというもの。米国大学生と婦人団体の方はいずれも「原子力発電」が最もリスクが大きいと回答。しかし、科学者が最もリスクが大きいとしたのは「自動車」で、科学者によるリスクの順位付けでは「原子力発電」はなんと30項目中20番目。

私は、その学者に言いたいですね。あなた方は、大学生と婦人団体を馬鹿にするためにこういうことをしているのかと。自動車事故の事故の率は高いし、交通事故死は大きい。しかし、原発が最悪の事態になったら、自動車事故レベルではない。一度の事故の大きさでみれば、1回の原発事故は、交通事故何回分のリスクでしょうか。
 
それに、ここが重要なのですが、事故処理の長さ、長期的影響、事故処理の方法、面積的な影響、同じリスクによる危険の度合い等々を加味したら、原発が危険になります。よって、上記のような比較は、人をだます論理であって、そういう論理展開は、論理テクニックを見抜けない方々との間だけにしてほしいです。
 
この論理がまかり通るなら、逆に、日本でいえば自動車事故で約1万人位が死亡しますかね。では、核兵器で死亡する人は年間何人か?ゼロですね。じゃあ、核兵器は安全だ、となるんですかね。毒ガスでも同じ論理が使えます。自動車はこれまで、万と殺してきた。核兵器は、それより少ないからリスク小さいんですか?毒ガスも?こんな子供だましのふざけた論理をよく用いられますね。いい加減にしてほしいです。
 
その論理の、1位~30位までを見せましょう。それ見て、納得できるのか。普通の人は。「そうなんだー、じゃあ、安心だ」ってなるのか。それで、安心できなかったら、素人だ、みたいなこと言うのか。悲しいですね。権力者の道具としての科学は。純粋に科学やっている方に恥ですよ。

以下科学者がリスクが大きいとしたもの。
1位自動車、2位喫煙
3位アルコール飲料、4位拳銃
5位外科手術、6位オートバイ
7位X線、8位殺虫剤
9位電力(原子力以外)、10位水泳
13位建設工事
17位警察の仕事
18位消火作業
20位原子力
23位狩猟

皆さん、バカバカしいと思いませんか?
これ、そのまま、はいそうですか、って信じますか?
拳銃より自動車が危険らしい。拳銃よりアルコール飲料が危険らしい。じゃあ、銃刀法なくして、禁酒法がいいのかな。科学者は。銃刀法なくしてタバコ禁止が安全なのかな。建設工事より水泳が危険らしい。水泳よりX線が危険とも言っている。その他、意見言いたいとこ、沢山あります。これが、その学者のリスク評価の正体。

それに、未知のもの・よくわからないことに手を突っ込んでいる、この愚かさ。スリル感は、ジェットコースターくらいにしてほしいですね。他の人巻き込まないで。推進論理のどこが正しいんでしょか。航空機事故と比べられるのでしょうか。
 
つまり、言いたいことは、これは哲学・思想の問題ではないということです。事故の事実認識の問題。知識の問題です。立場によって様々な意見があり、人の価値観、人生観による、と言うものではないんです。そうすることは危険でもあります。国家・世界の大問題です。
最悪の事態になったら、日本が終わってしまうので。それを防止するのが重要じゃないんですかね。その時に、価値だ人生だと言って私は死ねませんね。推進派を恨んで死にますね。

最悪の事態にも色々ありますが、再処理工場が終わったら、半径100キロがほぼ即死レベル、一説に致死半径1万キロ(ラアーグ再処理工場ですが)。原発も最悪の事態になったら、近づいただけで即死レベル。高濃度放射能がまかれ、ヘリからホウ素等を投下。覚悟して、作業できるレベルにして、落ち着かせるくらい。大変な事態が予想されます。日本は、人口密度が大きい。他の国の事故と被害は比較にならないと思う。

ラ・アーグ再処理工場での最悪の例ですが、致死半径10000キロらしいです。これに、価値観・人生観とは、到底言えないんじゃないですか?私は、聞いたときに、鳥肌立ちました。
 
因みに、チェルノブイリ原発事故、日曜日の夜9時からフジテレビでやっていましたが、あのチェルノブイリ原発事故には続きがあって、あの事故の後に二次爆発が懸念されていたようです。その二次爆発が起こると、ヨーロッパのほとんどが危険な地域になるところだったと言います。
 
こういうことが、本当に思想だけの問題として片付けていいのか、甚だ疑問です。
どこが「究極の選択」なのか。原子力発電所だけが発電ではないんです。高性能火力だってある。特に日本は、現在のまま原発なくしても問題ない。地震で火力等がやられているからこうなっているが、2003年に東電の原発17基がとまった。原発にかけるお金を自然エネルギーに回せば十分やっていける。そういう試算は、もう出ている。原発付属施設の六ヶ所再処理工場の建設費だけで2兆円を超えている。2000000000000円である。そこの建設費だけで。因みに、ここは発電しない。付属施設というだけである。どこも、究極の選択ではないし、生活水準が落ちるというウソもいい加減にしてほしい。