哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

原発の目的は本当に電気なのか

実は、全員が原発発電所という考えなら、原発推進はしていないでしょう。原発は発電だけの意味ではないです。発電だけならどこの国もあまり手を出さないでしょうね。原発の意味は、それが核兵器の技術的基盤になること(原子炉の保有が許されているわけ。なので、IAEAの監視下になる)や、防衛上のメリット(大量の放射能の問題から、他国からの攻撃リスク)をもっています。

なので、原発が電気のためだけのものであったら、他の発電方法がよっぽどいいわけです。
原発は、そもそも、核の平和利用としてはじまりました。因みに、プルトニウム239。有名な。この性質に気付いた科学者は学会への発表を躊躇したくらい。この問題は、国家論の問題なんです。

電気だけだったら、危険で、大きい火力くらいの電気しかできないで、コスト(付属施設が大きい)がかかり、国民の反発を受ける装置をつくるわけない。どこの国も、つくりっこない。電気だけの目的なら。例えば近くの国、某国が電気のために原発作りたいって言ったら、IAEAが「分かりました」っていうと思いますか?つくりたいんですよ、彼らも。名目は電気。

IAEAの監視下になぜ入るか。それが原発の本質。

そして、原子力という力。他の力とケタが違う。なので、これに夢をもつ科学者も沢山。それには、原子炉がある方がいい。核を人間が制御しているのが原発の原子炉。力のすごすぎる大きさに夢を感じるのです。

多くの国民は電気のためだけと思っていますが、当の推進側は違うところに目的があります。