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2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

原発問題「ジャック・アタリ氏」の論点と、私の原発への反発

フランスの有名な思想家であり、世界的にも有名(気になる方は検索してみるといいでしょう)なジャック・アタリ氏は、今回の日本の原発事故について発言している。私がこれを知ったのは、某テレビ局の夜の某テレビ番組で某新聞社の某編集委員が解説していたのを聞いたことである。スタジオにいる某キャスター等も、驚いたようで聞いていた。
 
そこで、私も興味を持ち、調べてみたわけである。ジャック・アタリ氏の発言要旨は以下である。
 
1、今回の福島原発事故事態は深刻であること。人類の安泰を脅かしかねないことが現実となる可能性もあること。
 
2、福島の原発(原子炉やプール等)がさらに爆発や損傷すれば、大量の放射性物質が放出され、大量なプルトニウムの放出となることもある。そうなれば、日本の一部は居住不可能になるほど汚染され、地球全体に汚染が及ぶ可能性もある。
 
3、日本当局は、採算性のため、福島原発を建ててはいけないところに建てた上にあらゆる安全措置の設置を怠った。事故のはじめから事故処理にミスを重ねて、原子炉冷却が遅れた。それにより正常な保護システムまで損傷させた。
 
4、日本当局は、プライドと秘密主義からか、国際的援助を長く拒んだ。はじめから世界規模の大事故とたぶん認識しながら、真実を明らかにしようとしなかったのではないか。
 
5、日本当局は、最小限の情報しか出さず、素晴らしい日本国民、さらに低賃金できちんとした訓練も受けず危険な作業に投入されている作業員らを危険にさらしている。当局は自らのウソがばれないようにするため、外国専門家の協力を受け入れようとせず、地球全体をも危険にさらしている。
 
6、少し人権侵害があるとすぐ動いたり、懸念表明してきた国際社会は、この件に関しては、遠慮深くなるのが不思議である。日本当局に何をやっているのと尋ねたり、申し出た援助を断られてすぐ引き下がったり、自国民を日本から帰国させたり、正常を呼びかける声明を出したりする。人々のパニックを起こさないためなのか、自国の原子力産業を救うためなのか、心配ないとしているのか。
 
7、原子力産業を救うにはこの事故を早く解決することが先決である。その為にあらゆる知恵と技術を結集させた国際的な連携が重要だ。日本の友人たちは、事故処理に長けた世界中の専門家を受け入れるべきだ。福島原発で何があったか把握するにはこれしかない。
 
8、専門家の意見を待たず、消防用具、ヘリコプター、ロボット、セメントのミキサー等、沢山空輸し原子炉を封じ込め、この事故を終わらせねばならない。もう内政干渉の是非を議論するときでない。行動するのみである。
 
興味をもったのは、特に内政干渉の部分「ingérence」という部分である。聞いた時・みた時「えー」と一瞬驚いた。しかし、彼の言っていることの本質は正当なもののように思う。放射能が世界的なのは当然で、一国の問題ではない。それに、一番迷惑をこうむるのは、原発についてきちんとした知識をもっている、原発に反対している日本の人々なのである。「危険だから嫌だ」これが本音であろう。「原発について学べば学ぶほど嫌いになる」それが、原発というものである。これは、核爆弾の恐怖と状況を異にする。つまり、作為的に危険をつくるのではなくても、自然災害等で事故が起こる可能性があるのである。しかし、残念ながら、現在の科学技術上でどんな自然災害にも耐えられる原発をつくることはほぼ不可能で、強行にすれば、程度にもよるが1つの原発で兆規模の金額に軽くなると予想できる。よって、大地震・大津波・巨大台風・巨大竜巻・火事・軍事的攻撃(テロ等含め)・隕石落下等々というあらゆる危険を想定した対策は、膨大な金額がかかり、100%安全とはいかないのである。
 
よって、我々は、ジャック・アタリ氏の発言を批判するのではなく、深刻に受け止める必要があるのではないだろうか。これまで国際社会は、日本の原子力を信用してきた。しかし、今回それが裏切られたと思っているであろう。私たち、日本国民も感じているところである。この福島原発での事故を機に諸外国が原子力の見直し等、原子力について真剣に考えていることの意味について、我々は知り、議論すべきなのだろう。当事国である日本だけこのままでいいというのは、到底、国際的に受け入れられることではないし、国際社会の一員として恥ずべきことでしかない。事故後、私は外国の友人から「こっちへ来たらどうか」と言われた。しかし、私はまだ信じているし日本を離れる気もない。東京にいるが、どうせ行くなら関西方面か沖縄あたりかと思うが、行く気はないし、日本全体が危険になったら諦めようとさえ思っている。今回の件では、最悪の事態になる可能性は相当低いと思っているが、何年か後に「想定外だった」として、最悪の事態になったら、一体どうやって誰が責任をとってくれるのだろうか。誰も責任なんかとれない。「後のまつり」でしかない。頭下げてもやめても、どうにもならない。ただ、終わるのみである。その時、悔やんでも遅い。
 
もう、原発は減らすしかないし、減らすべきであると思っている。一時代は過ぎ去った。様々なところで文章を書いているが、原発がなくても電力は大丈夫なのであり、なお心配なら現在の火力発電をCO2も少ない高性能火力発電にかえて、さらに火力を何機か増やしたり自然発電を本格導入すればいいではないか。放射能そのものの性質を変えたりするより、CO2の処分を考えたり火力発電の燃料を少なくすることを考えたりする方がやさしい課題だろう。
 
もう原発はいらない。元々私は、議論の際でも、終わったら仲良くなるタイプの人間であるが、今回に限っては、人間・健康がどうなるか、未来がどうなるか、国家がどうなるか等々の問題であって、今なお原発推進・計画中の原発はつくれ等と言っている方々に腹が立っている。キューバ危機のとき「人間の愚かさ」というものを、まざまざと考えさせられたが、もう一度、それを考えざるを得ない。
 
私もそうなのかも知れないが、なんと「人間はこうも愚かなのか」と。危機の意識をもってほしいものである。