哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

憲法学の「私人間効力論」について1

法学部に行って、憲法を学んだことがあるなら、必ず学ぶもの、それの一つが「私人間効力論」です。
 
そこで「私人間効力論とは何か」について、簡単に説明しようと思います。
なにせこの論点は、憲法学上でも大きな議論の活発な論点の一つであります。
 
簡単に言うと、刑法や民法のように誰にでも、憲法に違反した場合「あなたの行為は憲法○○条に違反する。よって、裁判所に訴えれば、憲法○○違反だから、正される」とすることができるのか、という問題です。
さらに言えば、憲法の人権規定(思想の自由など)が、私人間(一般人同士、又は、一般人と株式会社等、一般人と、相手が公的機関でない同士のこと)で適用できるのか、ということです。
たとえば、憲法19条には「思想・良心の自由」の規定があります。そこで、公的機関でない株式会社の行為が一従業員の思想・良心を侵害していた場合に、裁判所に対して「会社の行為が憲法19条の思想・良心の自由に反しているから、その侵害行為を止めよ」と言えるかどうかという事です。これが、国家等の公的機関が相手であれば通るのですが、株式会社という私的な機関や一市民に対しては、通るのかどうかが問題になります。
なぜなら、憲法というものは「国家に対して国民の権利を守るもの」と考えられているからです。だから、国家でないものが相手では、どうなるのかが問題なのです。
よって、上の例の場合だと、憲法に規定されていようが「法律がなければ対処のしようがない」ことになります。憲法は、国家に「憲法に違反する法をつくるな」というものである、という考えです。だから、私的機関には、いえないことになってしまいます。
それに対して、法律に規定されていなくても、憲法に規定されている人権は、公的機関以外(会社や周りの人達)によっても保障されるべきだとするのが憲法の私人間適用です。

しかし、法律の大原則の1つに「契約自由の原則(どんな契約でも法律(憲法ではない)に反しない限り、国家は介入しない)」があります。つまり、市民同士でした契約には国家は口出しすべきでないということです。ここで、憲法の私人間適用が正しいのか、といわれるのです。市民同士が自由に定めた「憲法に反する契約」それを、その市民の一方がある時に憲法違反として訴え、公的機関が憲法に反するとして「待った」をかける。これが憲法の私人間適用なのですが、その是非が議論されているのです。これが憲法論になっています。
なぜなら、憲法15条4項は「すべて選挙における投票の秘密は・・・公的にも私的にも責任を問はれない」つまり「私的にも責任を問はれない」として「誰かからでも問われた際は、裁判所を通じて国家が介入し助けてくれる」とされていますが、他の憲法の条文には、そのような規定はないので、私人間適用を認めるか認めないか、憲法学上、様々な理論を用いて大きな議論となっているのです。