哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

論破の方法1

これは、私がヤフー知恵袋で質問を受けた内容をもとに再構成しています。
 
ある歌があるとします。その歌を聞いてみたら、あまりよくないと気がつきました。それを周囲の人に、批判を言ったら、周囲の人は「この歌手よりもいい曲作ってから批判しろ」とか「批判するってことはこの歌手より歌が上手いわけ?」とか「じゃあお前は紅白出れるの?批判する資格あるの?」と言ってきたといいます。

このような批判論理のケースは、多々あります。
では、こういう論理に対して論破するとすれば、どのような言葉が適切なのでしょうか。

まず「批判する資格あるの?」という言葉がありますが、これは間接的に「批判する資格はない」と言っているわけで、この言葉の強調表現として、相手を批判する際に用いられる手法の1つです。「この歌手より歌が上手いわけ?」という言葉も、間接的に「上手いわけがない」と言っているわけで、批判の際の強調として用いられます。「いい曲作ってから批判しろ」というのも、間接的に「批判する資格がない」ということを間接的に言っています。これも、同じく批判の強調表現です。多くが、このような強調された表現に圧倒されます。もう一つの点は、もう気付いている方も多いと思いますが、同じ内容を言葉を変えて繰り返しているということです。
「いい曲作ってから批判しろ」と「批判する資格あるの?」という言葉です。これらは、批判する資格がないということを、2つの言葉に言い変えています。よく用いられるテクニックです。このように、同じ内容のことを、言葉を変えて何回か言って、それぞれに反論させるというのは、よくある論理テクニックです。これにより、言われた側は、1つの内容の批判でなく、一つ一つ別の批判と思ってしまい、その一つ一つに反論しようとすると相手の思うつぼです。この論理の問題は「あなたに批判する資格があるか」ということです。「歌が上手いわけ?」という言葉がありますが、相手には「その歌手より歌が下手なら批判するな」という意見の表明です。発言者側が意識しているかどうかは別として(経験上、身に付くことがあるので)この意見は論理テクニックを用いた論理です。
 
批判は、だれがどんな人がしてもいいわけです。しかし、例えば買わないように圧力をかけたりすることや、人物批判をすることは、相手を侵害することになるので許されません。しかし、単なる曲の批評は、万人に、誰にでも認められてしかるべきです。その人よりも下手な人が批判できないとすると、その相手がこちらの表現を侵害することになるわけですが、その人にそのような権限はないわけです。その相手の単なる1つの意見にすぎない。それに、その意見を主張する根拠がない。つまり、根拠のないことは何とでも言えるわけです。それを感情的な意見と言います。論理的ではないんです。
なので、このようなコメントに論破するとしたら
「批判する資格があるに決まっているでしょう。なぜ、批判してはいけないのですか。他の人に圧力をかけているわけでも、その人の人物批判をしているわけでもないですよ。それなのに、批判する資格がないというのは、どういう根拠なのですか?」となるでしょう。なぜなら、相手は根拠を示していないので、反論のしようがないからです。根拠を示さないならば、なんとでも言えますので。

又、こちらもあちらにのった論理テクニックで論破するとすれば
「では、あなたは、ある歌手よりいい曲作ってからではないと、アーティストの批判はしないのですね。つまり、この文章・この言葉で言えれば、あなたが私よりもいい文章を書いている・いい言葉を話しているから、あなたは私を批判しているということになりますが、あなたの私に対するこの文章・批判は、人物批判が中心ですね。私の意見に対しての反論ではなく、私に対して反論しています。これは、論理的に、いや、文章・論理としておかしいのではないですか。人物批判は的外れですよ。ちゃんと、私の意見に対して、根拠をきちんと示してから論理を構成してください。批判のための批判は、いい文章ではないですね。」となります。