哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

解釈改憲ならぬ「解釈田中意見」でしかない、武藤貴也議員の意見

最近、安保関連法案が世間の話題となっており、ネット上等で、武藤貴也議員の発言が話題となっております。

そもそもが、武藤貴也議員の「SEALDs」という安保法案のデモを行っている学生を中心とした人たちに対しての発言である「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」として、戦争に行きたくないという主張が、利己的であると批判したものとされています。又、過去の発言では、憲法の三大原則を「日本精神を破壊するもの」として、批判したりもするなど、憲法に対する様々な言動があります。

憲法の三大原則を批判し、日本精神云々と述べているものを、私は別の媒体で「明治から昭和前半だけで思考する井の中の蛙」と評しましたが、正に「日本精神」という用語をいかにも、もっともらしく使用しながら、一時期の日本以外を認めない思考でしかなく、政治家として、もっと俯瞰的であるべきものと思いました。

又、武藤議員自身、自分自身の発言、特に「戦争に行きたくない」という主張で法案に反対することが利己主義に当たるということに、自信をもっているらしく、砂川判決時の田中耕太郎元最高裁長官の補足意見を引用し「他国の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法が否定する『国家的利己主義』<中略>真の自衛の為の努力は、正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として『各国民に課せられている』」と述べています。

しかしながら、憲法で述べられている国際協調主義は、全世界という範囲であり、友好国やそういった概念ではありません。国際的です。つまり国連レベルの広さをもつものです。現在の安保関連法案のような、集団的自衛レベルではなく、全世界での防衛の態度というレベルの話であり、決して「一般人の戦争に行きたくない」という権利・自由と全然矛盾するものなのではなく、強制的・義務的に戦争に行くことを促されるものでは、決してないのです。これは、憲法そのものはもとよりも、前国家的な権利として、認められるべきものです。同様な論点として、国際社会においては、良心的兵役拒否等の問題として、国家と国民との問題としても捉えられています。尚、それ以前に、憲法9条や、その他の人権条項を有する日本国憲法の下では、そういった促しは許されるべきものでは決してありません。

しかも、この田中耕太郎元最高裁長官の補足意見は、あくまでも補足意見であり、憲法学からは、状況等を含めて、長年論議を呼んでいるものです。かつそれは、最高裁憲法解釈・憲法判断なのではなく、あくまでも、最高裁判決に付された田中元最高裁長官の一補足意見に過ぎないものです。

よって、それを引用し、一般国民の「戦争に行きたくない。嫌」という当然の心境を、田中元最高裁長官の砂川事件最高裁判決における補足意見をもって、彼らの論理が憲法に反しているとする武藤貴也議員の意見は、正に「解釈田中意見」に他ならないと解されるところです。