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2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

死刑の合憲性

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憲法36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」として、強調されて残虐な刑罰は禁じられている。そこで、現行刑法上の、死刑の合憲性が問題となる。憲法36条にいう残虐な刑罰とは何なのか、又、死刑は合憲であるのか、ということが問題となる。
学説は、大きく2つ挙げられる。1つ目は、死刑を残虐な刑罰ではないとするもの。憲法13条や31条が死刑の存在を前提としている規定であり、死刑が残虐な刑罰であるという社会通念が確立していないこと等から、死刑それ自体は残虐な刑罰ではなく、現行法が死刑制度を採用していることも合憲であるとする。2つ目は、死刑を、憲法36条に反する残虐な刑罰であるとするもの。人間が人間を殺すこと以上に残虐なことはないとする生きることを本質的前提とする人間にとっては過酷であるから、残虐であるとしている。又、他に、現時点では合憲としながら、将来の国民感情によっては、死刑そのものが憲法36条に反する状態になることもあり得るとする説もある。
判例は、この問題のリーディングケースとも言える、死刑の合憲性が問題となった昭和23年3月の最高裁判決で、火あぶり。はりつけ、さらし首、釜ゆで等、死刑の執行方法等がその時代と環境において人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、憲法に違反するが、刑罰としての死刑そのものが、一般にただちに残虐な刑罰に該当するとは考えられないとして、死刑合憲説の立場をとり、死刑そのものは残虐な刑罰とは言えないという論理を以後、貫いている。
私も、判例の結論同様に、死刑は、残虐な刑罰とは言えないと解します。罪刑均衡の見地からすれば、社会通念上、死刑は残虐な刑罰ではないわけです。死を伴う犯罪や、公に危険を伴う犯罪においては、死刑といえども、結果としてみれば、残虐性は否定されるものと解されます。つまり、軽い罪で重い処罰の場合には、罪刑の不均衡であり、残虐性が問われるべきであるものの、罪刑均衡よりみれば、残虐と言える社会的一致はないものと解されるわけで、憲法36条の「残虐」には当たらないと解されるわけです。又、死刑そのものの性質を憲法上どう解するかについて、憲法13条や31条が死刑を認めているものと解されること、特に、31条が明確に、「・・・法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ・・・」としているように、明文で、生命を奪う刑罰、つまり死刑も否定されているものではないということが憲法上明らかである。よって、36条と、31条や13条の問題、又、競合ということになるわけであるが、36条は、残虐性のみを問題としているものであって、先に述べたように、罪刑均衡上、残虐ということは否定されるべきである。よって、36条の「残虐」の解釈としては、死刑そのものを含んでいると解するべきではなく、罪刑不一致や、不必要な苦痛、不必要な刑の執行方法等を言うのであると解すべきである