哲学・法学的に「そもそも」を考えるブログ。since 2011・3・22。

2022年7月20日、ライブドアブログより、移行してきました。

キューバ危機より学ぶ人間の邪悪さ―核の抑止論が崩壊したとき―

核兵器が抑止力になるのか、どうか。
これは現代的ではあるが、古い問題である。
現在も、時々、議論されることがある。
この議論を考えるにあたって、1962年のキューバ危機を考えないわけにはいかない。
 
1962年、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ軍機がソ連の核弾頭のついた中距離ミサイル基地を発見した。当時のアメリカ大統領ケネディはテレビで、ソ連キューバに数十発の核弾頭を含む中距離ミサイル発射基地を建設中であることを発表。その後、両国はすごい緊張関係に発展する。両国が核ミサイルの準備に入り、戦争に備えたのである。もし、核ミサイルでの戦争に入れば、世界がものすごい戦場になり、お話にならない事態になる。つまり、どちらかが発射すれば、こちらもそれ以上でほぼ同時刻に発射され、それは上空ですれ違い、目標の地点へ行き爆発。最悪の事態になるわけである。
 
ケネディは、キューバ海上封鎖を敷く。そして、それが破られれば、アメリカは攻撃、ソ連も応戦。事態は最悪の事態になる。ケネディは、核のボタンを考えており、海上封鎖が破られれば、大変な事態になっていた。そのとき、ソ連フルシチョフが撤退を表明。キューバからのミサイル撤去をした。アメリカ艦艇に併走されてミサイルをソ連が撤去した。これに対し、キューバカストロは「何をやっているんだ」と激怒。ソ連を非難しました。
 
フルシチョフがメンツ丸つぶれや失脚や死等を覚悟したからできたこと。他の指導者だったら、世界は終わっていたかも知れません。フルシチョフは、この後、失脚することになります。しかし、フルシチョフが、自分自身への覚悟をしていなければ、世界は終わっていました。フルシチョフが、もしも冷静でなかったら、大変なことになっていたでしょう。核の抑止力というのは、相手が冷静で、核の怖さを常に意識しているときにのみ、言える論理であり、相手が冷静でなければ、強硬にすすめてしまうわけで、核のプレッシャーなどという論理は、成り立たないわけです。フルシチョフが冷静に見極めたからこそ、ケネディは核のボタンを押さなかったわけです。海上封鎖が破られれば、ケネディは核発射を覚悟していたわけですので、非常に恐ろしいです。
 
撤退したフルシチョフは、失脚してしまいますが、強硬派から暗殺される危険もあったわけで、その覚悟の上に今の平和が築かれているのでしょう。他の指導者であったなら、世界が終っていたかも知れないと思うと、ゾッとします。